働く母の勝負時 - 子供の病気編

働く母には様々な勝負時がありますが、子供が病気をした時は特に過酷な勝負時です。実際問題、働く母にとって子供の病気のケアはとても大変な事です。熱を出すと保育園では預かってもらえませんし、伝染病にかかったらお医者さんの了承が得られるまでたっぷり2週間位は休まなくてはいけません。それに病気は前もって何か知らせがあるわけではなく、突然やってきます。こんな時、どうやって働く母は対処したら良いのでしょうか?今回は、私が長男の中耳炎にうまく対処ができなかったために、手術する程に悪化させてしまった経験をシェアしていきます。

私の長男は生後2か月半の時に保育園に入園しました。保育園に入るということは、色々な菌に触れるということで、よく病気をもらってきます。(もちろんお互い様なので、仕方が無いのですが…。)本当によく風邪をひいて、鼻水や咳があるのが日常茶飯事でした。そして耳鼻科に連れて行くのが毎週土曜日の仕事と言える位、耳鼻科によく通ったものです。平日は仕事、そして土曜日は病院、というのが私の生活パターンでした。ただ、土曜日の病院はとても混んでいて、待ち時間も長く子供もぐずるので、あまり行きたくないというのが本音です。そうして自然と足も遠のくようになり、毎週病院に連れて行かなくなったのです。

病院に行かなくなったことで、子供の風邪も慢性化するようになり、いつも鼻水を垂らしている状況が続いてしまいました。するとある日の夜、子供が大泣きし始めるのです。なぜ?それは風邪をこじらせて中耳炎になってしまったからです。中耳炎になると相当痛みが伴うので、狂ったように泣きます。急いで病院に行って薬を飲ませると、うその様に治ってしまうのが、また驚くのですが…。そんな事を繰り返して、とうとう長男の鼓膜には穴がぽっかり開いてしまったのです。

子供の場合、鼓膜に穴が開いても自然治癒するケースもあるようですが、長男の場合は、穴の周りにしっかりとカサブタができてしまい、自然にはふさがらない状態になってしまいました。そうなると、水が入るととても痛いそうです。よって、プールも入ってはダメ、頭を洗うのにも気を付けなくてはいけません。

お医者さんの説明によると、一度鼓膜の穴が固定してしまうと、手術でふさぐしか治す方法はなく、しかも小学校の高学年以上にならないと、手術をしても完治しない可能性があるとのことでした。「あ~、子供に十分に目を向けてやれなかったな~。」と後悔した瞬間です。「もっとしっかりと病院に連れて行けば良かった。」今更反省しても後の祭りです。働いていたから子供の世話がおろそかになったとは思いたくないし、子供にも思われたくない。何とかして、この状況を打破しなければ…。

そして時はたち長男が中学2年生になり、待ちに待った手術をすることになりました。病院選びに学校との日程調整、それから本人の心の準備など、簡単な手術と言えやることはたくさんあります。

一番苦労したのは本人の心の準備です。中学生ともなれば恐怖感もあるし、「そもそもどうして鼓膜に穴が開いてしまったのか?」という質問もされるわけです。私は母として病院に頻繁に連れて行ってやれなかった自分の非を認め謝罪し、手術に同意してもらいました。

手術の当日、それまで健康そのものだった長男の初めての手術です。手術室に入って行く彼の目が恐怖感でいっぱいで、扉が閉まるまで私の目を見ていたのが、今でも心に残っています。そして自分が代わってあげられないもどかしさや、後悔の気持ちでいっぱいでした。待ち時間は地獄のように長く感じ、手術が無事成功して本人の顔を見た時は、本当に心からホッとしました。簡単な手術でさえもこんなに精神的につらいのです。お子さんの難しい手術を経験されているお母さん方は、計り知れない精神力をお持ちのことでしょう。

手術直後は麻酔が効いているせいか、ほとんど寝たままボーッとしていました。しかし、子供の回復力とはすごいもので、術後二日目ともなると、もうすっかり元気いっぱいです。そしてこの元気いっぱいと新たな勝負が始まるわけです。

入院は二週間ということなので、その間は何とか静かにしてもらわなくてはいけません。本人はいたって元気な上、テレビもないのでは暇で仕方ないでしょう。私は休暇を取り毎日病院に行くことにしました。特に何をするというわけではないのですが、毎日顔を見せることや、ちょっとした会話をすることで、少しでも長男の気晴らしになってくれればと思い、毎日、毎日通いました。バスで通うと時間が読めないので、寒い中自転車で片道1時間近くかけて通いました。これも母の勝負時だと思ったからこそ、できたことだと思います。

また、長男の友人にも助けられました。手術後、本人が元気になった頃から、友人が毎日のように顔を出してくれるようになっていました。やはり友人との会話が一番の薬らしく、とても楽しそうにしていたのが思い出されます。

長男が小さい頃に適切な病気のケアができなかった為に、手術にまで発展してしまった我が家のケースですが、手術ときちんと向き合って、二人三脚で乗り越えられたのが、何よりも嬉しかったです。長男も何も言わなかったけれど、きっと毎日自転車をこいでくる母親を見て、感謝してくれていたと思います。こうやって幾つもの勝負時を乗り越えながら、家族の絆を深めていくのだと思いました。

今回のシリーズは、「働く母の勝負時」というテーマで3回書かせていただきました。まだまだほかにも、働く母の勝負時というのは色々あると思います。そしてまた、人それぞれ違った形で乗り越えているのだと思います。皆さんも「あれは勝負時だった」と思う経験がありましたら、是非シェアして頂けませんか?少しでも働く母同士、お互いの経験から学ぶ事が出来たらいいなぁ、と思っています。
 

横浜 リサプロフィール
横浜で育った浜っ子。中学3年生から親の仕事の関係で海外進出。英語がまったく話せないところから、体当たりで学ばされ、今では日本語より英語のほうが得意になるほど成長。アメリカ、シンガポール、香港等海外に居住経験10年以上。外資系金融会社にて20年以上の勤続。母として仕事と家庭の両立をはかりながら、主にオペレーションを専門とし、現在は日系の金融にて日々精進している。外資から日系に転職した逆輸入型。