米国経済の「鬱」状態
最近の日本経済は、グローバル化の中で 1 人負けの勢いである。新興国に比べて先進国は景気回復の勢いで見劣りし、世界経済のデカップリング(非連動)は確実に進行中でより鮮明になってきている。ⅰ
リアル経済の動きとくに景気の先導指標的役割を果たす米国経済はどうだろうか。どうも 2010 年に入り 1 月には再び上昇気流があったようで、消費者信頼感指数 ⅱ が 55.9 で 2008 年以来の高水準値だという。 ⅲ ということは労働市場への見方が改善して消費に向かう勢いが付いているということらしい。しかし、実際には個社のリストラつまり人員削減に歯止めがかかっている気配は全くない。ホライゾン(通信大手)では 13000 人削減を公表、ウォルマートストアーズ(小売最大手)も 11000 人という大規模人員削減が明らかにされている。それなのに消費者信頼感指数が上がるというのはどういうことなのだろうか。マクロの景気が持ち直しても企業は収益を上げるためには人材の再配置やリストラの手綱を緩めない。指数やパラメータなどの「数値」を切り取ることで経済という生物を外から検査診断しようとしても、実は生物の「鬱」状態は診断できないのではないかと思われてならない。
パラメータ経営
バランスト・スコア・カードも実はこの「バラメータによる経営」ということに他ならない。経営者はコックピットに座るパイロットであるから、個社の経営の舵取りを「バランスト・スコア・カード」というパラメータで上手く診断しながら引っ張っていくという発想である。「人は設定された指標によって行動する」(What gets measured gets done)という言い回しをもじった、「指標を設定したものしか得ることはできない」(What you measure is what you get)という言葉。これはバランスト・スコア・カードの提唱者の 1 人、ロバート・キャプラン教授の言ったことだが、パラメータ経営の本質を言っている。
バランスト・スコア・カード、これはこれで経営の見えない要素を「見える化」して、経営を対象化した点に大いに意味がありかつ実際に使えるツールであることも確かだと私は思う。なぜかというと、特に数字中心に目標を提示しがちな経営者にとって、「非数字的なるもの」つまり顧客資産や内部ビジネスプロセス、従業員の側のヤル気やモチベーション・学ぶ姿勢というような非財務的要素こそが企業の成長要因となることを主張しているからである。このキャプラン教授は、経営学の先生なのかと思いきや、実はハーバードビジネススクールのリーダーシップ開発のマービン・バウアー記念教授であり、リーダーシップ論の専門家なのだ。BSC (バランスト・スコア・カード)という優れた経営ツールが、実はリーダーシップ論に由来していることに今日的意味合いがある。つまり最終的には人の要素、とくに組織のリーダーシップこそが成長にとって不可欠だといっているのである。
バランスト・スコア・カードは、その名の通りパラメータ経営そのものだといえるのだが、本当は組織の「リーダーシップ」の重要性、つまりパラメータ化できない究極の人の要素こそが、企業収益の源泉であるという矛盾した事実を述べているのだ。このようにパラメータ化できない「人」の要素が実は一番重要だということに気がついたとき、「不機嫌な職場」の問題や「自殺」や「職場の鬱」が別の意味をもってくることになる。
ところが、そのように成長にネガティブな(負の)要素に気づいたならそれをなくして行こう、そうすれば全てが良くなるという発想、つまり、こうした事態をあくまでもアブノーマルな状態と捉え「改善」していこうという従来型対処療法では、実は大きな地殻変動を見落とす危険があるのではないか、ということについて、これからしばらく考えを広げてみたい。
バランスト・スコア・カードもまたどのビジネス経営書も、企業の成長、個人の成長(言い換えると企業もパイを拡大し、個人も歩調を合わせてその個人としての果実やパイを広げていこう)という共通価値観を前提にしている。その常識を今一度疑わなくてはいけないイベントが進行しつつあるのだ。
「バブル後世代」
「世代論」はよく聞く(効く)マーケティング論の 1 ツールである、といっても過言でないくらいある意味マーケティング研究機関などではもう使い古された道具にすぎない。といって皮肉を言っている暇はなく、実はこの分野で最近注目すべき論考が発表されており ⅳ、人事部長としてはこれには特段の注意を払っておいて損はない、と私は思っているのである。
それは、20 歳代後半の世代( 1980 年代生まれ)である。「バブル後世代」とも呼ばれる。「団塊の世代」 ⅴ は、50 歳代後半から 60 歳代前半である。いろんな意識が親子以上の年を離れた二つの世代で対照的だというのである。特に顕著なのは、欲しい商品・サービスなどの消費意識である。
この特定の世代は、一言で言うと消費嫌いという特徴をもつ。「クルマ買うなんてバカじゃないの ? 」というわけである ⅵ。これは東京の 20 歳代後半の人たちでよく耳にする発言だがクルマなくては生活に差し支える地方でも「現金で変えるクルマしか買わない」という。
確かに地方を走ると軽自動車の割合が非常に多いのに気がつくのだ。さらに若い 20 歳代前の就活期の人たちも、クルマの免許がなぜ「資格」欄に書くべきことなのか意味がわからん、という人は多くいて、むしろそれは趣味欄ではないかというわけである。乗る趣味ならクルマでなくバイク( 2 輪のことではなく)つまり自転車というわけである。ホントに「クルマ離れ」は、パラメータ的にもいえることで、自動車工業会調査 ⅶ によると、クルマ所有世帯のうち 30 歳未満の主運転者(運転頻度の最も高い運転者)の比率が 95 年の 19 %から 07 年には 7 %( ! )へと激減しているのである。
これはクルマだけの話ではない。「アルコールは顔が赤くなるし身体に良くないから飲みたくない ⅷ」「化粧水に 1000 円以上出すなんて信じられない」「大型テレビは要らない。ワンセグで十分」「デートは高級レストランより家で鍋がいい」「海外旅行は日本語が通じないので疲れるから行かない ⅸ」という話が普通なのを、人事部長の貴方はご存知ですか ?
この意識の差はどこからきているのか ?
消費嫌いな理由としては、20 歳代後半のこの世代は、非正規雇用が多く、低収入層が多いからではないかとも思われる。ところが、実際は他世代に比べて男性の正規雇用率は 65 %、年収も 300 万円以上が 52 %と、特に見劣りする条件にはないのである。
松田氏によると、この意識の差は将来についての見方と自分への評価から来ているという。団塊の世代は、将来についても楽観的で、いくら少子高齢化、経済成長鈍化などと囃したてられていても「なんとかなる」と思っている。これまでの経験で裏付けられた自信があるのでそう信じている(根拠なき自信かどうかは別にして ⅹ)。しかし、バブル後世代は違う。自信につながる何かをやり遂げた経験者は少ない。バブル後の混乱、小泉構造改革を思春期に世代体験としてもっている。終身雇用、年功序列もなくなり、手厚い社会保障もない。とくに戦後最大の就職氷河期を経験し、実社会から受け入れられなかった酷い体験をもっている。このような負の体験が、自信のなさに拍車をかける。同じ将来の見方でもバブル後世代はより悲観的に見ることになる。そうなると、これから 30 代になり、結婚し子供を育てる家族形成期にはいったとき、本来なら最も支出の増えるライフステージのはずである。しかしバブル後世代はこれまでの団塊の世代のように、クルマ、家電、海外旅行に支出することはもはやないのである。
バブル後世代の価値観
このバブル後世代の価値観は、どのようなものなのか ? なぜそう悲観的なのか ?
それは児童期のいじめ体験、就職氷河期に植えつけられた劣等感や勤労観があるという。だから「自分の夢や理想を追って高望みして周囲と衝突するよりも、空気を読んで皆に合わせたほうがいい」と考える。それは、「自己実現」を目指した 40 歳代以上の中高年の個人主義的な価値観とは対照的といえる。それどころか、団塊世代は「自由きままに行きたい」「おひとりさま」意識が強いから、団塊世代の価値観とは対極にある。そこでは、豊かな社会で志向されると信じられていた個人主義的な自己実現意欲が低下している ⅺ。 2009 年そして 2010 年と、時代意識は 5 年前と全く反転してしまっている。まるで政権交代のようだ。これは、「何のために人は働くのか」というテーマに関する「マズローの欲求段階説」最上段レイヤーである「自己実現の欲求」さえ遠くに置いてしまう新世代が出現しているということである。
不況よりも怖い「嫌消費」世代の登場
このバブル後世代では、買い物行動も変わる。買い物は、負担だけが増える、楽しくないイベントなのだ。しかし選択情報は豊富で比較購買が可能なネットチャンネルがシェアを高めている。そこでは、もはや、自社の商品・サービスを通じた消費者理解、ものづくり偏重の製品差別化、値引き発想の価格政策、共感による反復説得、配荷率優先のチャネル選択、条件交渉中心の営業力を要素とする「古いマーケティング」が、通用しない。
では、彼らの消費行動とは、どのようなものなのか。
彼らは、節約すること、待ってから安くなってから買うことというのが「既定値」である。だから彼らの辞書には「節約疲れ」の言葉はない(気まぐれでそろそろもういいやろ、といって高額品に手を出すことは、ない。)買って後悔すること、将来の負担になるリスクは回避する。とにかく割高な商品は嫌いである。周りから「バカ」にされるからだ。この点は他者依存(英語でいえば outer reference 型志向人間)の強さなるがゆえに、商品サービスが安くて節約になるだけでは不足で、周りに「スマート」だと思ってもらえることが条件になる。自分が気に入ったので、割高だけれども買った、という行動(自分の価値判断を優先させる inner reference 型志向の人間)はとらない。それではすまない。周囲を過剰に気にする消費者が最も恐れるのは「愚かな選択」だと人に思われることだ。
この点は、この世代のキャリア・ディベロプメントあるいは転職先選択にあたっても大いに気になる傾向だといえる。サラリーがあがるから、とか、自分はどうしてもこの仕事がしたいから、ということで動くのではなく、その選択がいかにもスマートだと思われるかどうかが判断の分かれ目になるということである。
(この稿続く)
ⅰ 以前の当コラム「人事のグローバル化とデカップリング論」参照。
ⅱ 消費者信頼感指数とは、コンファレンスボード(全米産業審議委員会: Conference-Board )という民間の調査機関が発表する消費者マインドを指数化したもの。消費者信頼感指数は、毎月 25 日から月末にかけて発表され、アンケート調査で現在と半年後の将来の景況感、雇用状況、所得(自動車・住宅についての購入計画)の項目で「楽観か悲観」で回答して貰った結果を指数化している。消費者のナマの声をベースにしているので、個人消費との連動性が高い指標。消費者信頼感指数の数値が良くなってくると、景気が良くなり、個人消費も高まってくると考えられるということになる。
ⅲ 日経 2010 年 1 月 27 日 ニューヨーク山下記者報告。
ⅳ 「嫌消費世代」の研究 松田久一著 東洋経済新報社 1500 円
ⅴ 堺屋太一は、日本に人口ピラミッド上一番人口の多い 1 つの年齢の塊を見出した【 1976 年】それが初めての大衆市場としての団塊の世代である。世代の発見を、マーケティング、経営、経済の領域を結びつけたものとして一世を風靡した。(嫌消費世代の研究 136 ページ)
ⅵ 「環境に悪くて、たまにしか乗らないのに、駐車代などの維持費も高く、燃費の悪い自動車をもっている人の気がしれない」と現在の 20 代の独身女性は考えている。従って、自動車を所有していることは男がもてる条件でないどころか、「見捨てられる要素」にさえなっている。彼女たちは、自動車のローンと維持費に高いコストをかけるぐらいなら、デート代やプレゼントにおカネを使ってほしいと思っている。つまり自動車の購入と所有は、頭脳とデリカシーの試験になっているのである。つまり、「クルマ買うなんてバカじゃないの ? 」(嫌消費世代の研究13ページ。)
ⅶ 2007 年度市場動向調査。また、それだけでなく、18 歳から 29 歳までの若年層での自動車購入費の落ち込みも激しい( 00 年と 07 年比較で 30 %ダウン)。その結果、新車販売台数を見ても、登録車( 660 cc 以上)は 10 年来の漸減傾向が続いており、ついに 07 年からは軽自動車までも前年割れをおこしており、他方、中古車市場も縮小している。もはや自動車産業の内需は全体として縮小しており改善見込みはない。このことはトヨタ快進撃の裏に隠れて、あまり報道されることも少ない。内需が見えない以上、グローバル企業化は必然の動きといえる。
ⅷ 「酒離れ」も進行している。パラメータでみよう。20 歳代男性で飲酒習慣のある人は 95 年 35 %から 05 年には 19 %に激減、飲用率、飲用頻度、飲用量のどれもが低下している。
ⅸ 「海外旅行離れ」も実は深刻だ。20 歳代の海外旅行者数が 96 年から 06 年の 10 年間でなんと 35 %ダウン(法務省、出入国管理統計)であるから、かつて若手世代の旗手としてよく読まれた沢木耕太郎「深夜特急」という熱い本は今やクラシックになってしまい、彼の新著「 1 号線を北上せよ」で若い時にやり残してきた冒険をもう一度、という団塊世代への応援歌がここにきてむなしく聞こえてくるのは私だけだろうか。
ⅹ 団塊の世代は、それぞれのライフステージで新しい商品市場を作り、ブランド確立に貢献してきた。学生時代には、ソフトドリンクなら「コーラ」、ジーンズなら「リーバイス」オーディオなら「パイオニア」クルマなら「シビック」というようにブランド確立に貢献してきたのである。
ⅺ 「なぜ、このような価値意識の大転換が起こったのか。それは好況下で隠されていた価値意識の格差が不況によって表面に現れ、世代交代によって格差の拡大に拍車がかかったことが大きい。特に、自己実現志向が低下したのは、旧世代においては、不況の下で自己実現が経済的に挫折し、内閉的な「私」化を強め、新世代が、他者依存的な自己実現志向を強く持っているからである。」【消費生活白書 2010 巻頭言】 による。このように、バブル後世代には自己実現志向がない、というのではなく、自己実現志向があるのだけれど、それが他者依存傾向があるために、他の世代の挫折の影響を受けているからだという指摘が注目される。