M&Aと組織人事の変革

前回まで、M&Aの切り口から、戦略人事と経営者のあり方、次世代リーダーの育成や経営者市場について述べてきた。M&Aと戦略人事に関する3回連続記事の第3回目となる今回は、M&Aが組織人事に及ぼす様々な影響や様相に焦点を絞って詳しく見てみよう。

グローバル企業のM&A

グローバル企業の場合、M&A実行のヒトの面に関する準備のレベルはずば抜けている。

まず、社内にM&A専門担当者チーム(専任で、実務経験値も高い博士号取得者を相当数)をCEO直属で抱え込んでいる。世界中のどこでも、より良い資本投下先を探索して、いつでもどこでもすぐにヒトを送り込んでDD(デューデリジェンス)や財務評価にすぐに入れる体制を自前で整えている。証券会社や投資銀行に頼まないでも自力で遂行できる体制を作っているのが現実で、外部アドバイザーはあくまでアドバイザーでしかない。そして、非常に「リターン」(投下資本の見返り)にシビアだ。同じ資金を投下するなら日本より資本効率がよいところがあれば躊躇なくそちらを選択する。予定資本効率以下しか見込めなければ、どこにもM&Aをかけないで待機する。それだけのことだ。

次に、グローバルな人材プールの裏づけがある。いつでも日ごろからM&A後のシナリオに合致しそうな(100%でないにしても)経営人材をリストアップしている。

最後に、統合計画(PMI)は現地任せだ。そこで期待したリターンを上げるのは、現地責任者の役割だからである。「駄目なら代わりはいる」の世界である。

M&Aは、事業戦略。

どうしてこのようなことが可能なのか?

その考え方はシンプルだ。グローバル企業では、M&Aを重要な戦略の柱の一つと位置づけている。「シェア」をとるというマーケット戦略が基本だからである。この場合、銀行からの「借入れ」でM&A資金をまかなうことはあまりしないのが普通だ。それは効率がきわめて悪いからである。現在ある事業分野・地域のうち成長がやや遅いところや成長余力の少ないところ(収益性が全くないというわけではないから欲しい企業には高く売れる!)を高値で売却し、得たキャッシュを原資にM&Aを実行し、より資本効率の高い事業分野・地域を新たに取り込み、グループ全体の収益性をさらに一層高める戦略をとっているのだ。(高く)売れないほど劣化している事業分野・地域は、M&Aに廻さずに、営業を停止するか撤退するだけである。

日本企業のM&A様相

これに比べると、日本企業の場合は、どうだろうか?

まずM&A専任者(専門部署)を社内に抱えることはほとんどないのではないか。日本では新聞報道を見てもバリュエーションが自社ではできないのが普通のようだから外部のアドバイザー頼りである。しかも実務経験値の高い組織人事系のM&Aアドバイザーはほとんどない。自社で人事プールも整備されていない。経営者の転職市場もない。M&A後の経営を誰に任せるのかについて、明確な回答を持っていてディールが終了することは稀だ。

一番の違いは、「リターン」への自覚度合いだ。何のためのM&Aなのか、買収して(統合して)いったい何をしたいのか、その「リターン」と「リスク」と「時間」について明確に自覚・認識して、交渉に入ることが少ない。あるアンケートの結果、M&Aで「買収後の経営戦略と統合計画策定」が最も改善を要するプロセスだったという回答が最も多かった(55%)事実がそれを物語る。要は、シナリオが描けず、人的資源対応が弱いという結論である。(日本CFO協会CFOフォーラム2007年6月号)

M&Aと経営戦略策定との逆転

言い換えると、日本では、まずM&Aありき、でその次に経営戦略を構築することになりがちだ。それだときっと後から不協和音が聞こえてくる。そうではなく、まず自社の経営戦略ありき、次にそのための複数の手段の一つにM&Aがあって初めて持続的成長が見込めるのだ。日本ではM&Aを考える順番が後逆になってしまっていることが多い。

M&Aと経営層(戦略)人事

どんな価値創造がM&Aでできるのか。事業領域の重なりがあるのか(ないなら止める)、販売市場と自社製品・サービスとの重なり具合と反目具合を自社でまとめてみる。そして経営統合の効果・メリットをまとめて、相手方・顧客サイドと自社内部の利害を解消した上で、意味のある(価値向上)M&Aをベースに、双方が納得できる仕組みづくりを想定して、組織と個人の対立を解消していく、という段取りが必要だろう。「当社と組んで、どういうメリットがあるのか、買収されてよかったと言わせる何かを提供できるのか?」それがM&Aでの最初にして最大の自問自答であり根本課題である。

経営戦略が明確で、あくまでその経営(戦略実施)は自社で握るというなら、相手方のどの経営層が当社の経営層として取り入れ可能かだけを問題にすれば回答は容易だ。そういう人材が相手社にいるかいないかであって、いなければ相手社の経営陣には辞めていただくということになる。もっともそれだけ自社の経営層にかかるプレッシャーは大きくなる。逆に、相手が業界でも評価の高い経営陣だというときは、業績連動型のリテンションプランを用意するとか現経営陣との間で一定期間の競業避止義務を合意するなどの選択肢があるだろう。

M&Aと従業員(戦略)人事

従業員に対しては全く別の考慮が必要だ。今や従業員は労働力ではない。ヒトは、事業成長を支える基盤、無形の資産だ。ヒトにこそ価値がある。統合や買収により「どう事業が変わり、貴方はどう処遇されるのか」をきちんと早めにコミュニケーションすることが大切だ。

その場合、実際上、従業員の扱いには3軸ある。「いなくては困る人材」、「いなくなってもよい人材」、「いなくなって欲しい人材」の3軸である。その影響度合いは様々である。たとえば、統合後の新商品開発にとっていなくては困る人材がディール前に退社したら、そのキーパーソン退社による将来のC/F減少予想額を算定し、M&A売買価額を引き下げることになるだろう。逆に、被買収会社が古い体質で年功序列の要素が強く、いなくなって欲しい人材に報酬面でその評価を正しく伝えることができない場合は、統合(買収)をあきらめるという選択肢か、あるいはいったん子会社化して統合先送りするかという選択肢をとることになるだろう。

もっとも、私自身がかつて経営企画部長として臨んだ小さなM&Aでの印象では、本国主導での受動的M&A、つまり企業価値の上がる「良いM&A」とは言えなかったせいか、吸収された側はその前後に見切りをつけて転職してしまう人が多く、少数だけ残った人は逆によくぞ残ってくれたとばかりに地位も上がり妙に優遇され、既存組織の人の嫉妬の対象となるという、ちぐはぐな摩擦を起こしとても成功した処遇とはいえなかった気がする。

従業員人事は、ことほどさようにM&Aの中でも特に取り扱いが難しい。日本のM&Aでは「たすきがけ人事」
( i) などといわれることが多いが、それは、3軸についてdo nothing, no harmと言っているに過ぎず、戦略的メッセージ性はゼロである。(新)戦略実現のために従業員に何を期待するのかは、結果的にこの3軸メッセージとならざるを得ないのに何も言わないのは、そのような危うい人事でも大丈夫なくらい戦略性が脆弱だということを示している。

黙契

労働契約書の中には書いてないが、従業員は企業との間で「黙契」を交わしている。すなわち、自分のキャリアやスキルがこの会社でどう生かせそうかという期待が入社契約の背後に「心理的契約」として存在している。従業員にとってはこの会社で働いてよかった、これからも働きたい、という「承認と意欲」があることが働く意欲を引き出すことになる。会社側からこれを破棄するような動きがあれば、何らかの形でその黙契解消の合意ができれば良し(その場合は、円満退職というハッピーな結果となる)、そうでなければ裏切りと期待はずれという否定的評価(場合によって訴訟というお互いが傷つく果し合い)となる。

10年たってようやく会社の期待するスキル面で適合性ある人材に育ったというのにM&Aで違う事業をすることになったと言われれば、ヒトの安心感は打ち砕かれ、黙契は失われる。

ここでも、M&Aで何を狙っているのかをハッキリさせ、変えるべきものと変えないものとの見極めをつけることが非常に大切で、それをまず経営側が早めにコミュニケーションして従業員に提示することが必要のように思える。外資系の場合は、情報が洩れたとたんに間髪おかずに社内アナウンスをして今会社は何を考えているのかをコミュニケーションする。(隠しておいて)話の詳細がまとまってから最後に発表する、という態度はとらない。ひとえに従業員の信頼を獲得したいがためだ。

間違っても雇用を守るためのM&Aなどありえないことを認識するべきだろう。競争力のなくなった部門を維持するためのM&Aは救済事業であって本当の意味での(企業価値向上のための)M&Aではない。だからこそ従業員との黙契に対しては、企業はセンシティブであるべきだ。

M&Aと戦略人事 そして労働法

M&Aでは、ほとんど黙契の世界での心情的な人事対応だけに注意が向きがちだが、それでは、法律上の世界では従業員はM&Aという突風の吹く中で、いったいどういう立場におかれているのだろうか?何もできないのか、また、何ができるのか?

この論点はとても重要なのに今まであまり光が当たっていなかった論点だ。専門家と称する人も正確に理解している人は少ない。そこで、論点を簡単にまとめてみた。

(1) 「株式譲受」、「第三者割当増資」、「株式交換・移転」というM&A類型なら、どれも株主が変動するだけの資本移動にとどまり、労働契約は不変である。だから、法律上「このヒトは欲しいが、このヒトは要らない」という従業員ピッキングはできない。逆にこのタイプのM&Aに従業員の同意は不要だ。ただし、年功型賃金体系に対し、株主変動により経営陣が変わり、戦略人事として新経営陣が成果主義に移行したいとする要請が出てくることはある。新経営陣のリストラ策・新事業計画により、労働条件の変更が行われるのなら、それは「労働条件の不利益変更」の可否というクラシックな問題になる。

(2) 「合併」や「会社分割」というM&A類型の場合は、包括承継であるから雇用契約の承継は不要だ。つまり合併の場合は、もともといる従業員を丸呑みなので、従業員のピッキングは不可能だ。もちろん労働条件も変更なし。ただし、「会社分割」の場合、「労働契約承継法」が立法されたので、自動的に承継されるものの、異議申し立てができることになっているので事実上従業員の同意が必要になる。

(3) ところが「合併」の場合は、法律上消滅会社と存続会社が同じ法人格をもつことになるが、それぞれ異なっていた労働条件が並存する結果になる。この事実は忘れがちなので注意を要する点だ。これは合併会社には2つの就業規則が並存し、2つの賃金規程やテーブルが残存することを意味する。組合も並存する。タイヘンなことである。同一企業で違う労働条件があるのでは、統一的な戦略人事は不可能になるからだ。いずれにしても並存しているものを合併の前後において統合する必要が出てくる。(最高裁判例でも二つの労働条件が存在し従業員に格差があるとき単一の就業規則を作ることは必要だ、二つあることは望ましくないと言っている。大曲市農協事件判決参照。)

(4) (1)でも(3)でも労働条件の不利益変更は、戦略人事の一環としてとくにリストラを要する場合に試みられる。これには「秋北バス事件判決」というリーディングケースが既に存在している。そこでは、「労働条件の集合的処理が就業規則の本質だから、その規則条項が合理的であれば、個々の労働者が反対したからといってその適用を拒否できない。」とした。裁判所の判断枠組みとしては、変更の必要性と合理性の総合判断を行うとしている。例えば、退職金規程の廃止で、、90%の労働者は仕方ないが残り10%の労働者が退職間近で甚大な不利益を受けるというとき、どうするか? そういう場合は、徹底的に交渉を尽くしたかどうか、労使で納得したかどうかが争点になる。もちろん制度移行にあたり代償措置をとったかどうかも重要なファクターになるというわけだ。

従業員はM&Aに対抗できるか?

最近、買収防衛策についての本がいろいろ出版されている。しかし、M&Aの基本合意が発表されたとき、特に「敵対的M&A」の場合、「従業員も反対しています!」という反対キャンペーンは「最強の買収防衛策」にはなる。なぜなら、労組の反対とか従業員有志の反対表明を押しとどめたら不当労働行為になるから、それに対する(裁判上の)差止が効かないからだ。(買収防衛策で新株発行しようとして差止請求の逆襲を受けることがあることと対照的である。)

実際上どうしても「署名」だと、こういう動きになりやすい。1対1で従業員に聞くと、相手の裏切りを怖れて本音は出ない。和を重視する日本的組織風土ならではの現象だ。その場合本当に現経営陣に対する不満はないのかどうか、表向きはわからない。敵対的だから全部いけない、と誰も言い切れないはずなのだが。要するに、具体的な人事で、誰が引き上げられ、誰が遠ざけられるのかという結果が見えたとき、はじめて従業員の評価や意思が見えてくる。皆、そこを注視しているのだ。

「ディールブレーカー」

M&Aのディールブレーカー (ii)にはいろいろある。

それらはネガティブ要素であるから、定量化可能であれば、売買価格を下げればよいが、定量化不能であれば、M&A中止という選択肢をとることも大いにありうる。例えば、当社は徹底した顧客第一主義なのに、対象会社は、尊大な従業員第一主義ということもある。

これは決定的な組織風土の違いとしてディールブレーカーの要素になるので、統合を諦めるほうが良いかもしれないし、例えばリクルートとダイエーのように、よく組織風土を調査したStrategic
Buyerの場合なら、人事統合を当面行わないという慎重策の選択肢をとることもありうる。

要は、前のめりになりすぎて、まずM&Aありきで実行すると、PMI(Post Merger
Integration)がタイヘンなことになるから、常に、「M&A動機」の再検討、言い換えれば「戦略は何か」という「そもそも論」に立ち戻ることが大切だろう。

( i) たすきがけ人事とは、会社・団体・組織などの人事において採用される手法のひとつ。ある役職が、2種類以上の相異なる性質の集団を出身した人物により、規則的に交替で担当されることを指す。語源は、和服を着用する際のたすきが、両肩から交互に紐を下ろし結ぶことから。一般的には、合併により発足した新企業が、前身の2つの会社の出身人物を交替で社長・会長に充てることが「たすきがけ人事」である。特に、当事会社間の売上高や従業員数に大きな差がない対等合併の場合に多く見られる。たすきがけ人事が採用される要因には、当事会社従業員同士のプライドや意地、企業文化(コーポレートカルチャー)残存へのこだわり、という感情的側面がある。また、当事会社間に実力差がある場合でも、劣後扱いされた企業の抵抗が統合作業に支障をきたす恐れがあると、上位企業の「遠慮」によりたすきがけ人事が採用されることがある。たすきがけ人事は多くの弊害を生む。たすきがけ人事が採用されていると、その法則性に逆らった経営陣が組織されず、適材適所が実現されない。また、役員のみならず、昇進の過程に立つすべての従業員にこの法則が影響するため、合併後も当時会社の従業員同士が融和しにくい。企業合併には相乗効果や効率化を図るものがあるが、これも期待できなくなる。派閥運動の妥協点のひとつとも見得る。(以上、ウィキペディアから原文そのまま引用。)

( ii)ディールブレーカーとDDとの関係についての以下の説明を参照。「デュー・デリジェンスの最も重要な目的は、買収ターゲットの問題点を洗い出し、買収の意思決定に影響を与える情報(買収を断念するか否かのディール・ブレイカー要素)を入手することです。デュー・デリジェンスの実施以前の段階で、すでに買収ターゲットから与えられた情報を基礎に買収形態、買収価格、その他の買収条件などが検討されていますが、これは与えられた情報が正しいものという前提で行われています。従って、デュー・デリジェンスでは、与えられた情報の信頼性を確かめ、また以下のような買収の断念につながる問題点がないかどうかを確かめます。●買収ターゲットに価値があると考えていたものにそれほどの価値がないと判明 ●M&Aディールの前提条件の認識に一部誤解などがあった ●買収形態のスキームの前提条件の一部が当てはまらないことが判明 ●買収ターゲットから明らかにされていなかった想定外の重大な問題点
(以上、新日本監査法人による戦略的M&Aにおけるデューデリジェンスの目的(2004.12.06)による。)」

 

笈川 義基プロフィール
東京大学法学部卒業。英国系総合商社、英国系損害保険会社、ドイツ系損害保険会社において、営業、業務、IT、再保険、商品開発、コンプライアンス・オフィサー、経営企画、M&A、人事担当役員などの基幹業務を現場長として経験した。4年間の取締役としての活動後、人事コンサルタント(戦略HRM)・リスクマネジメント(RM)を行うユニバーサル・ブレインズ株式会社を立ち上げる。