前回、「人事は戦略実現のためにある」という戦略人事の考え方がいかに現代の企業組織にとって重要かを述べたが、まだまだ戦略人事というコトバは一般的になっていないように私には思える。
なぜか?というと、そもそも戦略なんて当社にあるのか、という根本疑問だとか、たとえ戦略なるものがあったとしてもそれはシナリオにすぎず机上の空論で、そんなもので人事が動かされてたまるか、という反発が背景にあるのではないか、と思う。人事部長も、本音としては、ヒトなんてわからない、どうせ合理的でないヒトの気持ちを使って戦略に従えといってもそれをどうしろというのだ、わからないものに人事部長としての責任をとらされてたまるか、だから人事は聖域、触ってくれるな、中立で独立なのだから、という気持ちがあるように思える。
「開発マネジメントは戦略に従う」
ところが、経営企画室という部門では、まったく正反対の考え方をする。つまり、まず事業戦略ありきで、その達成のために必要な人材を手配する、場合によっては、組織(ここでは体系的な指揮命令系統を定めた組織図やチャートのことをいう。)を変更することさえもいとわない。組織は「存在するもの」ではなく、「設計するもの」なのだ。朝令暮改にみえても、また、毎年組織変更するのでも、よしとする。
その一例を挙げよう。
多くの企業の場合、研究開発プロジェクトを社内にいくつも抱えることが普通だ。そこで今何が起っているか?
それは「内部の生存競争」だ。つまり、複数の事業部門が多数の別々の開発プロジェクトを同時に走らせている。 しかも、5年計画で今始めたばかりで海のものとも山のものともしれない「種まきプロジェクト」のものから、3年計画の最後の年でもう実際販売がスタートした「収穫期のプロジェクト」まで、多種多様のプロジェクトを抱え込んでいるという現実がある。
当然、各プロジェクトは社内で予算と人材を「奪い合いながら」成果を出す必要に迫られる。(テルモ経営企画室佐藤慎次郎氏 日経2008年1月16日「十字路」)
ところが、経営企画室の認識としては、革新的な技術開発や事業開発をにない、引っ張ることのできる有能な人材はどの企業でも限られていると考えている。それならその有能なる人材をどこに重点配置するかについて、意思決定しなくてはならない。そこで、カネを配分するようにヒトも配分する必要がある。ヒトに仕事をあてはめるのではなく、仕事に合わせて、意図的に「動かす」つまり戦略にあわせて人事を取り仕切るのだ。だから、戦略が人事を決めていく、と考える。
そのような予算・人材の奪い合いの中では、「開発マネジメント」つまりこれら全体を「ポートフォリオ」として認識し、各プロジェクトに「適正な人材と予算を割り当てる」ことが戦略実現のカナメとなる。誰かが割り振りを決めなくてはならないのだ。まさに、「開発マネジメントは、戦略に従う」である。
人事部が戦略構築へ関与する?
では、誰が決めるのか?予算と人材の奪い合いの中で、事業目的からキチンと秩序立てて予算・人材の配分をすることは、人事部で行う作業だろうか?
それは事業戦略とその実現のプロセスを決定することであるから、経営企画部や取締役会・経営会議で決めることがらだろう。一般的には人事部で決定することがらではないといえる。その意味では、人事部は経営会議で決定された戦略とその実現プロセスに従い、それを忠実に実行する責任がある。それが人事部の戦略構築・実現への関与のあり方である。
もし、経営会議で短期業績重視の戦略を選択したのなら、有能人材についていえば、揺籃期ないし「芽を吹きかけた育成期のプロジェクト」からはヒトとカネは間引かれる結果となるだろう(前出日経「十字路」記事)。当然収穫期のプロジェクトを優遇し優先的に資源を傾斜配分するのが最も合理的だから。
そのとき、人事部は、人事の独立性や中立性を言い立てて抵抗するだろうか?そういう人事部がいたら、「KY」(空気が読めない)だろうし、それだけでなく、戦略実現に寄与できていない人事部という低い評価になってしまう。
イノベーションと戦略人事
では人事部は、経営会議の決定に対する単なる従属部隊にすぎないのだろうか?戦略の実行補助部隊というだけでなく、そもそも戦略構築のための寄与はできないのだろうか?
もちろん、一方的に従属するよう実行部隊として人事部の立ち位置を設計すればそうなる。それを決めるのもトップマネジメントや取締役会だ。しかし、人事部の立ち位置を、人材による戦略実現への最重要部隊と位置づけることもできる。そして、多くのグローバル企業はそう考えている。
現に、テルモ経営企画室の佐藤氏(前出、日経「十字路」記事)は、経営企画室長でありながら(だからこそ、というべきか。)勇敢な議論を展開する。つまり、今もっともカネを生み出す部分ではなく、むしろ逆バリで、あやふやかもしれないが夢がありイノベーションにより大きく将来成長できる「種」にこそ有能な人材を意図的に配置するべきだという戦略眼に基づく人材移転を強く主張している。大胆な成長戦略の考えかただ。
そして、同氏は、こういうことができないことが次世代技術に投資しながら成功果実を手に出来ない失敗パターンだとして、こうした罠を回避した米シスコシステムズの例を挙げ、名経営者ジョン・チェンバースの戦略眼に基づく大胆な人材配置がシスコの成功の陰にあったのだと、ハイテク・マーケティング論のジェフリー・ムーア氏の論文を引用している。マーケティングの分野では知られているキャズム(chasm)理論(後述注1参照)の人事分野への応用である。
しかし、そうはいっても、足元の業績が極端に悪いのに、利益をかろうじて生み出している部署から人を引き上げるのは、「蛮勇」だろう。(もちろん、テルモ社のことではない。)戦略的にどちらの選択肢をとるのが妥当かは正しい現状認識に基づいての合理的な判断といえるかどうか、によるのであって、抽象的な理論の是非にあるのではない。
「人事部の主張」
では、経営会議で、人事部長としてはどう主張するのか?
あまり自己主張せずに、そもそも佐藤氏の言う「有能な人材」とは具体的にどなたを想定されていますか?と単純無垢な質問をシレっと口にするのも手である。経営戦略実現の意図があっての発言であるから、おそらく具体的なケースを念頭においているはずである。例として具体的にA氏の名前があがったら、ではそのマッチングについて検討しましょう、任せてください、と話を引き取る手はある。
しかし、当のA氏が成熟期のプロジェクトを離れて、芽をふきかけたばかりの新技術プロジェクトに移って本当に貢献できるのかどうかは、おおいに議論が分かれるところだろう。有能人材が限られていてその争奪戦だというけれど、プロジェクトの「国替え」をして新チームで同等ないしそれ以上の実績を出すには、チームとの相性やA氏自身の「気持ち」も無視できない。モチベーションを上げるより、下げる環境は簡単に作れてしまうのだ。これでは逆効果になってしまう。私に任せてくださいと人事部長が大見得を切るのはちょっと早すぎる。
さまざまな選択肢
他にも、経営会議で、人事部長としての提案や主張は、いろいろある。
各種プロジェクトの洗替評価をして、どのプロジェクトが最も収益に貢献し効率的かの見極めをつけるのが先決で、それが決まればダメなものに早く見切りをつけて人的投資を切り上げるべきだ、と正面進攻作戦を主張するのもいいだろう。キャッシュカウとドッグ(後述注2参照)との見切りをつけろ、と選択・集中を迫る方法なのだが、こうなると全社戦略の見直し(洗替)なので、一人の異動にとどまらず、部やチーム単位にスクラップ&ビルドすることになる可能性が高い。
また、仮に現在の事業(商品)戦略が正しいとしても、なお予算配分の効率性の観点なるものを持ち出して、剰余金の10%を戦略的に人事に振り向けて(あるいはコスト削減を5%行い)、これを人材投資の原資にしてもらいたいという資本投下再配分を主張する方法もある。つまりは、A氏異動に手をつけない微温的対応なのだが、この原資を利用して、A氏以外で、同質の経験値をもつ優秀な人材を外部採用して新技術プロジェクトに迎え、A氏には今まで自分が関わってきたかわいいプロジェクトの成果をかりとるおいしいリーダー役をそのまま続けてもらい、A氏自身の達成感も満足させ、モチベーションを高く保ちつつ取りこぼしを避け確実に成果を入手して、人材投資によって全社レベルでの収益機会の最大化を図ろうという提案である。
このように「人事は、戦略実現のためにある」といっても、具体的な「道筋」はひとつではない。
いずれも優れて経営的な視点から説明ロジックを駆使して創造的に人事部長としての答えを出して(選択して)説明・提案していくことが必要となる。テルモ人事部長の職にある方は、経営企画室の佐藤氏の意見に対してどのような主張や議論をされたのだろうか?いや、そもそも経営会議に人事部長は呼ばれたのかどうか?人事は戦略実現のためにある、という意識をCEOがもっているかどうかも多くの会社での試金石だといえる。
果たして妥当な選択か?
さて、前記の経営企画部や人事部の主張は、どれも間違いではない。どれを選択するかは経営会議で決めなくてはならない。どれを選択したとしても、妥当だと、言える。こうして、優先順位づけをして効率的に決めることが合理的であることは疑いない。
しかし、人間は理性と感情の両方を併せ持つ。その選択が貴重な人的資源を有効活用できる唯一の方法であり、それで事業の成功確率も上がることは頭では百も承知なのだが、心の中では、何でなの?なぜ、Bプロジェクトが優先で、私のCプロジェクトがそうでないのか。あなたの言っていることはよ~くわかるが、わかっていても、納得できない、なぜなら、必ずこのCプロジェクトこそまだ誰も評価しようのない、信じられないような偉大な可能性を秘めているかもしれないというのに……。偉そうにしているがバカじゃないの?
そのようなとき、CEOや組織リーダーは、遠くの目的を共有させるだけでは足りず、具体的に皆の心に響く目標、やりがいのある目標を立て、メンバーの心をわくわくさせるような、みんなが(生理的に)納得できる目標を立てることが、仕事だ。それを収益性目標からしても頭でも納得できるように目標を選定する必要がある。それが、CEOの役割だろう。そうしてはじめて戦略が人事を動かせるのだ。
ところで、みなさんは、あなたがもしCEOだったとき、どれが妥当な選択肢だと判定しますか?
(注1) キャズム理論=キャズムとは、主としてハイテク分野でのマーケティング理論で、「溝」を意味する。よく知られているイノベーター理論(1962年、スタンフォード大学のエベレット・M・ロジャース教授が著書“Diffusion of Innovations”(邦題『イノベーション普及学』)で、ロジャースは消費者の商品購入に対する態度を新しい商品に対する購入の早い順から、1.イノベーター=革新的採用者(2.5%)、2.オピニオンリーダー(アーリー・アドプター)=初期少数採用者(13.5%)、3.アーリー・マジョリティ=初期多数採用者(34%)、4.レイト・マジョリティ=後期多数採用者(34%)、5.ラガード=伝統主義者(または採用遅滞者)(16%)の5つのタイプに分類)した。 これをさらに分析しこのイノベーター理論の通説に対して異論を述べたのが、本文にもあるジェフリー・ムーアで、その度数分布曲線に潜む「乗り越えがたい溝」(キャズム)を指摘し、この溝を越えられない新商品はブレイクすることなくやがて市場から消えていく運命にある、とした。なぜなら、アーリー・マジョリティは、「他の人も使っている」ことを判断材料に商品購入を決定するので、ほんの一部のアーリー・アドプターにしか採用されていないということは、アーリー・マジョリティに商品購入を踏みとどまらせる理由にこそなれ、商品購入のきっかけにはならないからである。そのため、溝を越えるには、アーリー・マジョリティ層へ一気に切り込み成功事例をつくること以外に方法はない、と主張した。
(注2) キャッシュ・カウとは、ボストンコンサルティンググループが開発した経営戦略策定のためのスキーム、PPM(プロダクト・ポートフォリオ・マネジメント)にでてくる言葉で、「市場成長率の低い成熟市場で高い市場シェアをとった商品」のこと。事業をキャッシュ・カウにもっていき、キャッシュ・カウが生み出す利益で新商品に投資するというのが成長に向けたビジネス・サイクルだとする。