人事部の役割は?と聞かれたら、あなたはなんと答えるだろう。
多分あなたが、営業部所属のヒトなら「人事部?そんなの関係ねぇ」という感じだろうか。人事といえば、すぐ思い浮かぶ言葉といえば、給与・賞与、人事評価、人事異動という言葉が連想されるから、なんとなく鬱陶しくネガティブな印象しかないだろう。しかし、会社によっては、人事部は第2権力と思われていて経営の秘密の奥の院に近くに行けて出世の最終階段という印象をもつ人もいるかもしれない。どの道、「人事部?そんなの関係ねぇ」
ところで、関係ないかもしれないが、小島よしおの「そんなの関係ねぇ」の英訳というか試訳というか、とにかく翻訳があったので紹介すると“Who cares?” とか”I couldn’t care less.”(日経2008.1.19)という。むしろ英語のほうが「ガン!」というインパクトがありますね。
人事部の役割は?と聞かれて、私が思い出すのは、数年前のある日のできごとだ。
そのころ私は、ある外資系日本法人の人事担当役員で、シンガポールに地域の人事担当責任者(役員)が数十人一堂に集合しての会議があったときのことだ。今まで人事役員の国際交流や、顔を合わせるという機会があまりなかったので何事があったかといういぶかりと、何か面白い仕掛けや楽しみがあるのではと思って集まった人も多かった。そこで本国の役員が、全員集合した各国の人事担当責任者に席上ひとりひとりに浴びせた質問が、「今年の当社ストラテジーは、何ですか?4つありますが、言ってみてください。」である。思わず、各国人事担当役員同士顔を見合わせる。顔には、「人事に関係ない質問をするな、だから本社の人間は困るんだ!」と書いてある。指名されたヒトは、しどろもどろにあたらずとも遠からずのことをいい始めたが、その瞬間「オヤ?ヘンだぞ。」と気づく。「なぜこんな質問をするんだ?」
次の質問は、「今年のあなたの国(現地法人)のKPIは?」である。KPIとは、Key performance indicator、つまり主要経営指標の数値のことだ。「そんなことを答える必要はない、それは営業やCEOの仕事だ」とみんなの顔に書いてある。が、ここまで来ると会場はシンと静まり返り緊張感が走る。
さらに次の質問は、緊張を緩めるように「あなたは、人事部に何年いましたか?」参加者には10年選手やベテランもいるが、私のようについさっきまで違う分野のラインマネージャーだった人事責任者もいた。任務についたばかりの人事部門ではテクニカルスキルとして勉強しなければならない人事・労務マターは山積みだった。「いったい何を聞こうとしているのだ?」私は、KPIは答えられるが、人事部の新参者だ。いつ私の順番がくるのか、背中がむずがゆくなり、椅子からひざが前に出て、脳細胞はフル回転を始める。
本社役員のメッセージは続く。
「今までは、人事は人事でした。しかし、これからは、違います。人事は戦略の一部です。会社の経営目標を達成するのは、ヒトだからです。人事の役割は経営戦略の達成にいかにヒトの面で貢献できるか、の一点にあります。それなのに、会社全体の経営戦略や財務目標値という基本軸を知らなくてどのように人事を組み立てるのでしょう?そのようなヒトに当社の人事を任せることはできません。経営戦略実現に役立つようにヒトをトレーニングし、採用し、人事制度をつくり、リードするラインマネージャーを育成するか、その答えをだし、その説明ができることこそ人事部の役割なのです。」「人事部に10年いても、それだけで価値があるのではありません。」「各国に帰り、どのように人事部として経営戦略の実現に貢献できるのか、人事部長(HR Manager, HR Director)としてその答えを見つけてください。そして、それを聞かせてください。」
役割と貢献責任
人事部の役割が、もし経営戦略の実現への貢献だとすると、人事部に対する評価は、戦略実現への貢献度合いということになるだろう。だから、たとえば、営業部のマーケティングとセールス機能が十分でないために実績不振となっているのなら、営業部のマーケティングやセールス機能を強化するための方策を立案し実行することが人事部の仕事となるはずだ。
実際上、相前後して実施された国際人事カンフェレンスの主要なテーマは、外部講師を招いての各国人事役員同士で切磋琢磨する「営業センスの向上」ワークショップだった。断っておくが参加者は営業責任者ではない。人事責任者である。さすがに畑違いという文句をいう参加者も中にはいたが、よく考えると、ある社内プロジェクトを立案実行する場合、そのアイディアを売り込み承認してもらう「社内セールス」は日常茶飯事だ。対外的な顧客だけでなく、「社内顧客」のニーズを満たすことも大切なので、人事部長に全く営業センスがなかったとしたら、たとえば人事制度の変更をしたくてもこれは敗因となる。ワークショップ終了後は、各国に戻って、人事責任者がこの「営業センスの向上」ワークショップの効果をどう上げたかが宿題であり、次回の国際人事カンフェレンスのテーマとなる、というわけである。徹底して、直線的に、人事の経営戦略実現への貢献度合いが問われ続けることになる。
人事部の貢献責任と権限
人事部の役割が経営戦略実現への貢献だとすると、この責任を果たすためにできること、しなければならないことが、人事部のもつ権限となる。これは、どういう意味か?そんなに幅広く、責任守備範囲の広い仕事なのか?それなら、人事部が営業現場で必要なラインマネージャーを自分で採用できるのだろうか?
答えは、否。そこまで、直接的ではない。現場は現場にまかせる、現場のスキルと経験値は現場にあるから。しかし、人事はそれを見守り、理解し、それを現場が実現しやすくする具体的な手助けをしなければならない。人事部の役割は社内各部の仕事をやりやすくし、目的達成しやすくするようにヒトの面から支援することにある。だから、人事部のパフォーマンスは、常に他の部からの批判的な眼に晒される、つまりどれだけ現場を理解し、現場のためにヒトの面から支援や「サービス」があったかが「社内顧客」である社内各部の対人事部評価そのものとなる。
このあたりになると、戦略人事が経営課題として屹立している経営が、いかに人事部の役割を変えていくかがよく見えてくる。HR manager, HR directorの見る社内風景は、CEOと同じ視点だ。
戦略人事の功罪
人事は戦略実現のためにある、という戦略人事の考え方は、人事の独立性だとか専門性だとかいう古い価値観と対立するものだ。そして、この考えかたは、従来型のベテラン人事部長の反発を買うことになることは容易に想像がつく。20年選手の大ベテラン人事部長に戦略人事の話をすると、眼が点になる。
しかし、それでも戦略人事を実行することで経営の果実を手にして成功できると、経営者CEOがそう確信するのなら、あくまで経営の成功がCEOの目標である以上は、古い価値観を捨て、社内の反発を排除してでも戦略人事を実施しなければならないだろう。そういう期待に答えられる「人事部長」人事や人事部構成を策定し実行しなくてはならない。
社内に、財務目標値を示して、スリム化してコスト削減し、IT化して、顧客満足度指標を上げて、そのように合理的に動きさえすればそれで目的が達成するのなら、経営はCEOというシナリオライター一人と筋書きどおりにいっているかどうか監視するCFOの二人のデスクワークとなる。 もしそうなら経営ほど、簡単明瞭なことはない。経営は一種の「操縦快感」である。複雑な機械である自動車を高速で走らせる、そういう機械の操縦と同じ快感だから。MBAとはこの操縦技術を教えてくれる教習所である、といえる。
しかし、経営のシナリオや戦略を実行するのは現場の実戦部隊であるなら、そのヒトたちが楽しく、エネルギッシュになり、働くことが面白くなければ、操縦不能となる。それだけの話なのだ。人事は戦略実現のためにある、という戦略人事は、ヒトが合理的に動いてくれることを前提にしている。そうは問屋が卸さないことはすぐわかる。
そこには相性だとか性格要因や、あのヒトのためならなんでもヤル(イヤ、あのヒトなら真っ平ごめん)などという不合理な(あるいは説明不可能な)動機が行動要因になることがあるのだ。その結果、チームの出力が半分以下になったり逆に倍化したりもすることは確かだ。多分、そこまであえて考えを広げないのが、戦略人事の考えかたの強みであると同時に弱点だろう。だからといって、正確に性格を読んで相性のよいチームができれば戦略人事の考え方がなくても全てが解決し経営が大成功する、というわけでもない。
言えることは、合理的な考えを前提に経営する以上、人事は戦略実現のために価値があるのだ、と言い切ってしまって、それを実行することだ。そして、それにまつわる「諸問題」がでてきたら、対症療法で治療しながら先を走ることだと思う。何が重要かをハッキリさせることがまず大切だ。そして選択し、実行することが大切だ。
人事は、経営のためにあるのか、従業員のためにあるのか?
これも、人事が戦略実現のためにある、と言うとき必ず聞かれる質問だ。この質問は人事がどちらかを向いていなければならないという前提にたっているトリッキーな質問なのだが、こういう疑問は若手人事部員の中からさえも出やすいものだ。
今まで人事は従業員福祉や労務(労働関係のコンプライアンスと言い替えてもよい)を役割と心得ていただろうから、当然従業員や組合の方角を向いていて、経営には背を向けている(はずだ)と見られていた。戦略人事の考えかたは、求める結果は同じだが方向性は真逆である。
それなら、戦略人事の考え方は従業員に不利なものなのか?
従業員福祉が大切なのも、労務コンプライアンスが重要なのも、それ自体に価値があるから実施するのではない。戦略人事の考え方では、すべからく従業員と定義されるヒトたちに快適に楽しくエネルギッシュに働く環境を用意しないと、経営がなりたたないから、だから、意識的にそのレベルアップをはからなくてはならない、だから従業員福祉や労務コンプライアンスのレベルアップに価値があるのだ、と目的的に考える。
いいかえると、戦略人事の考え方は、従業員の方向を向いていないどころか、働くヒトに正対して正面からその能率・スキル・モチベーションアップを図ることこそを使命としている。「社内顧客」の満足度を上げるよう努力するサービス部門として人事部を位置づける。その方向を向いていない人事部やサービスの効果が上がらない人事部は評価が低下する。人事部の実行するサービスでどれだけ職場で働くヒトの能率・スキル・モチベーションアップを図ることができたか、を毎年チェックすることになる。ちょうど営業部のヒトが売上目標値をどれだけ達成されたか毎年評価されるように。
だから、戦略人事の考え方は従業員といわれているヒトに不利などころか、真逆である。
人事部のアクションプランとは?
人事部は、経営の方向をよく知り、その方角と目標に合わせて、人事の目的とアクションプランを策定する。もちろん財務目標を熟知し(人事マンもBSとPLは読みこなせなくてはいけません。)その財務目標を達成するために営業部がどう成績アップのためのシナリオを書いているのかを知り、社内共通用語で語り、目標をラインマネージャーたちと共通目線にする。そしてその実現に最適な組織設計や制度設計をしなければならない。それが人事部の役割だ。
戦略実現のために必要な人材をどう確保するか、(外部からスカウトするのか内部からか、どのスキルセットが必要か、必要となる経験値は?に現場ラインマネージャーと協働で答えを見出す)それを外部であれば「採用し」内部であれば「研修」することが、アクションプランとなるだろう。
その人材要件の定義(どのような性格のどういうスキルセットの人材が必要か、マネージャーとの相性)と達成時間軸(いつまでにその人材が確保できないと営業部の目標が達成できないのか)などを具体的に「決める」。(多くの人事部ではこの決め事をラインマネージャーに公開しないが、「合意」と「公開」は戦略人事を標榜するヒトの基本行動パターンだ。)そして、実際に人材を「採用」し、「研修」したら、その効果を測定する、社内顧客であるラインマネージャーが評価する、評価度は成果度に一致させ、それが人事部の評価となる。
人事部のアクションの効果が財務的にも直接効果が見えることは少ないだろうからある程度定性的な評価になってしまうこともあるだろうが、とにかく人事部の選択したアクションを(完璧でなくてかまわない)評価することが大切だ。ヒトの能力向上と活躍度合いに「効果」があったなら、翌年度の「人事部予算」にこの採用と研修費用がコスト化(予算化)され、すべてヒトが支えているその企業の「持続的成長」をさらにその後も継続的に保証していくという戦略的循環プロセスをもたらすこと、それこそが戦略人事の考え方の帰結である。
だから、人事部のアクションプランは、会社全体の経営つまり「中期事業計画書」の一部にキチンと書き込まれていなければならない。日本企業の場合、今まで人事は独立的で専門的だというだけで単に人員計画として員数合わせの目標値だけが事業計画に現れるにとどまり、研修や社内サービス向上などの目的的な人事部のアクションプランと想定効果が事業計画書の中に書き込まれた例はおそらく皆無なのではないかと思う。
このことは実は見逃せない戦略人事論の副次効果である。どういうことかというと、最近の日本企業は実は一皮めくると株主の過半が外国人ということが多くなっている。たとえば、日本興亜損害保険のサウスイースタン・アセット・マネジメントなど大手損保会社の筆頭株主(日経2008.1.19)には外資系投資ファンドが名を連ねている事実である。三井住友海上保険の筆頭株主は米ブランデスインベストメントパートナーズ(10.39%。FujisankeiBusiness2007.11.10)であり、外国人株主が40%を越す大手日本社が多いのだ。今まで金融機関にはそういうことはなかったのに。
そこでは海外投資家に成長(ないし阻害)要因をきちんと説明をしなければならないのだ。IRなどで、成長(阻害)要因のうち商品性やマーケット性など基本的なマーケティング要素のそのまた基盤にあるヒトの養成問題は、新入学卒社員の35%が3年以内に退社するという統計(厚生労働省「新規学卒就職者の在職期間別離職率の推移」2006.10)のある中、長期的経営課題としてどう対処するのか、また財務目標値達成に向けて当社が選択する戦略シナリオを説明した上でその事業戦略実現のための人材計画をどう設計したのかは、中期事業計画(経営方針)の中で、きちんと説明をしなければならない(はずである。)そうでなければ実現可能な合理的な経営をしているとはいえないからである。戦略人事のアプローチ手法は、事業基盤の確立と戦略実行に直結するスキルセットとモチベーションをもった人材を、中長期的にどう確保するかを語るために必須の方法論なのである。
戦略人事の考え方がどれだけ有効か?
こうした見方で戦略人事を把握するなら、戦略人事の考え方はこれからの企業戦略にとって極めて重要な要素であることがわかるだろう。グローバル化の中ではますますその意味は大きくなる。そればかりではない。M&A、合併・買収、持株会社設立など経営統合の動きは、つねに「資本」と「組織(ヒト)」の結びつきが鍵となる。M&Aは、異なる「組織(ヒト)」統合プロセスとしても配慮しなければならず、そのとき戦略人事の考え方を使わなければ有効な事業戦略オプションを選択することさえできないだろう。
また、理念を共有し経営戦略を具体的なプロジェクトに落とし込み、目的達成のロジックを理解しそれを実現すること、それは(今はまだ)M&Aのさなかにいない企業にとっても、また、グローバル化していない企業にとっても、経営戦略をもつ企業にとっては必須の戦略人事の一場面である。
人事マンも、自社の経営戦略の構造がどうなっているのか、つまり企業戦略、機能戦略、事業戦略のそれぞれについて策定フローを理解しておくことが必要だ。
人事部長のあなたは、自社のそれを知っていますか?
これから、しばらく「戦略人事」についてのコラムを受け持つことになりました。私が数年前に流した冷や汗を同じように背中に感じながら戦略人事の方向性を確かめなくてはならないとお感じのとき、読者であるあなたに、戦略人事への実用的な香辛料をまぶしながら、幾皿かおいしい料理をさしあげることができたら、コラムのシェフとしては嬉しさこれにまさるものはないと思っています。よろしくお引き立てお願いします。
参考文献:
キャプランとノートンの戦略バランスト・スコアカード ロバート・S・キャプラン (著), デビッド・P・ノートン (著), 櫻井 通晴 (翻訳) 私としては、この本は、宣伝に過ぎ冗長で読みにくいが、古典的な意味は今でもあると思う。 分析的に人事を捉えなおし、戦略との紐付けを図る際には参考になる文献ではある。中小企業や研究開発型企業、ベンチャー企業などの場合においてどうなのかについての検討がほしいところ。現実はそんな分析をまっている暇はないのだ。この本で実用的な思考のフレームワークを得ることはできる。