「福島原発事故」が日本人の感性に与えた影響
3 月 11 日の東日本大震災は、日常の平穏さ、当たり前の常識が一瞬のうちにそれが全く非なる世界へ残酷に切り替わる現実に直面しました。日常、ありえない世界と、現実は、実は隣り合わせであることを日本人は知ることとなります。
何度も何度も TV で流された、大津波が一斉に堤防を越えて町を襲うシーン、漁船が道路を流れていくシーン、なんでもない最初の小さな黒い波が数分後には 2 階建ての階段をせりあがっていくシーン・・・
数 10 万人の人が孤立して避難する状況、2 万人の死亡・行方不明者、これらの事実を何度も見聞きしているうちに、人の気持ちは、個人の自由や金よりも、人とのつながりや絆を追い求める態度に変わっていきます。
被災された皆さんが家族で、そして地域で支えあう様子に、いざというときに頼りになるのは、人のつながり、助け合いであるということを、多くの人びとが再認識することとなりました。報道によると、震災後の意識調査で、結婚を希望する 20 代の未婚女性数が、10 年ぶりに 8 割を超えたそうです。余震や計画停電などの中、孤独でいることの不安感があったのではないか、とのことですが、人と人とのつながり、絆が、これまで以上に重視されだした例だと思います。
「絆」のもつ意味
遠くにいても助けに行かなくてはと思う気持ち、自分に何ができるかを考える気持ち、自分たちの価値観が大きく転換したといってもいいのかもしれません。いざとなったとき、頼れる何か、このように結婚願望が飛躍的に高まったとか、家族で過ごす時間の大切さを意識するようになったとか、要は、人としてのぬくもりや絆を大切にしたい、という気持ちが高まってきたともいえます。
それは同時に日本人の心根がますます内向きになる傾向でもあります。絆を大切にする、ということは、知らない人との間に「絆」という境目を作っていこうとすることでもあるからです。
外国人とは、「絆」を結べる ?
福島第一原発の爆発事故のとき、一部外国法人ではその本部機能を東京から関西に移す動きや国外に移転する傾向が活発でした。米国政府が米国人に 80km 圏外への移動を勧めたこともありましたし、米軍支援の艦船が一度は原発に近づきながらも遠のく動きをしたこともありました。近くにいる米国人や中国人の社員が一斉に退去勧告や家族の勧めに従って出国する動きが慌ただしく急だったことを思い出します。
私の知り合いの米国人もせっかく日本で入手した家を売り払い、LA に戻ったし、私のクライアントの中国人社員も本社中枢で働く人であってもほとんどの人が(例外は数人だけ)帰国したのです。日本人幹部社員の中にはもう 2 度と外国人採用などしない、という人さえいたくらいです。出て行った人間とはもう付き合う気がしない・・・絆という境目の向こう側に行ってしまったからです。
それでも絆はあるのか ?
しかし、外国人であっても「美談」はあることはあるのです。以下、サーチナ(2011年03月19日14時28分)からの引用です。
『留学生は 15 日、コミュニティーサイトの掲示板に「今、日本の仙台市です」というタイトルで、地震発生当時の様子や避難所での生活、多くの在日外国人が帰国の道を選んでいるにもかかわらず、自分は仙台にとどまることを決めた理由などについて書き込んだ。
「 4 年前に留学で仙台に来て今年卒業し、3 月 22 日には出国する予定だったが、このようなことになってしまった。死んで生き返ったような感じだ。11 日は一生忘れられない日になった」と語る。地震当日については、「完全にパニック状態になり近くの避難所に退避した。しばらくすると、小学校の体育館には数百人が集まり、足の踏み場もないほどだった」と述べる。
避難所に集まってきた人たちはおもにお年寄りや年配者だったそうで、留学生は「力仕事は自分にさせてください」と自ら頼み、以来、発電機を回したり、毛布を分配したり、手洗い用の水をくんで運んだり、ストーブに燃料を入れて火をつけるといった作業を、現地の人たちと一緒に行ったという。留学生は「互いに助け合ううちに、年齢とは関係なく新しいつながりができ、心強くなった」と語る。
留学生は「自分が韓国人だと話すとみんな驚き、むしろ心配してくれた」とし、「正直、自分は良いやつでもないし『ボランティアをしてもここを離れればお別れだろう』と思っていたのだが、昨日、対策本部の方が私のために閉鎖された仙台空港以外の方法で、韓国に行くための交通手段などを教えてくれた。この感動を上手く文章で伝えられないが、昨日は 10 年ぶりに涙があふれた」と語る。
この出来事から留学生は考えが変わったそうで、「映画のように沈没したとしても、ここで死んでもいいと決心した。韓国のネットユーザーたちから見たらオーバーだと思うかもしれないが、4 年の間に出会った知人や友人を残して自分だけ韓国には行けない。自分ができることをすべてやってから、韓国に戻りたい。みんなも心の中で力になってください」と書き込んだ。
現在、留学生の書き込みは大きな反響を呼び、「仙台の韓国人留学生」のエピソードとしてニュース記事にも取り上げられている。
韓国人ブロガーの「その男」(ハンドルネーム)さんは、留学生の書き込みを読みながら胸が熱くなったそうで、「人というのは、こうやって温かい情で結ばれているんだと感じた」、「必ず元気な姿で堂々と帰国してほしい。応援しています」とブログにつづった』
「人間」と「間人」の間
日本人は元来、個人の主張をある程度抑制して自分が属する集団内の調和を第一に考える傾向があるといいます。この傾向は日本国内では普遍的なので、「あたかも深海魚が海水の存在を終生意識しないように」(日下公人氏による)これまで日本人は特に意識しなかったわけです。
日下氏によると、『その昔、和辻哲郎はこの傾向を論じて「人間(じんかん)」と名づけ、近時では精神医学者木村敏は「人と人との間における自分」という分析概念を提案した。著者はそれを「間人主義の日本人」と名づける。日本人は欧米的な“個人”という「人間観」は持っていないし、したがってまた個人と個人がギブ・アンド・テーク的に契約する相互関係もあまり設定しない。それぞれの人は他の人とのなんらかの紐帯のなかに、みずからの存在意識を見いだすのであって、日本人の言う「我」は自己基準をもった我ではなく、むしろ「汝の汝」であるから、いうならば日本人は人間ではなく「間人(かんじん)」であると説く。』
間人主義とは、(大阪大学・浜口恵俊氏によると)このように定義されています。「1)相互依存主義:社会生活では親身な相互扶助が不可欠であり、依存し合うのが人間本来の姿である。2)相互信頼主義:相互依存関係の上では、自己の行動に対し相手も自己の意図を察してうまく応じてくれるはずだという相互信頼が必要である。3)対人関係の本質視:いったん成立した関係はそれ自体価値があるもので、その持続が無条件に望まれる。」
間人主義の「常識」と「非常識」の間
要するに、日本人(社会・組織)は「気持ちのわかりあい」を重視する文化、気質なのだというわけです。
そうだとすると、東日本大震災と福島第一原発事故は、こうした日本人の文化や気質をさらに一層強化したことになるのかもしれません。
もしそれが本当だとすると、「間人主義」の日本人が、絆のない外の人間たちとどのようにコミュニケーションをとるというのでしょうか。間人主義に共感しない「外の人間」たちがいることなど、想像できない、ありえないそんな人は人間ではない、と思うとしたら ? 絆を共感しあえる関係を作る手続きこそが大切で、そこで何をするか、ではなく、その絆の中にいることにこそ意味があると考える、それが常識だと思うようになるとしたら ?
絆の「外」の人間たちともコミュニケーションし、理解させ理解しなければならないという「外」の現実にどう立ち向かうのか・・・この答えは、「間人主義」からは生まれません。
「問題の答は、人間と人間の間に置いてつきあう。自分自身は融通無碍である。」という間人主義で、「あなたの意見は ? 」と答えを迫られるとき、「間人主義」がグローバル人材育成の盲点とならなければ幸いだと思うのは私ひとりでしょうか。