社内で英語公用語にすることの是非(その1)

内需型産業でも英語公用語へ

社内で英語公用語にすることの是非論が、一段と世間一般に盛んになってきた。前にこのコラムでも「英語ができない執行役員はクビ」論として、いち早くそれを詳細に分析して紹介したこともある。この問題はそれ以降もさまざまに世の中の議論が沸騰してきていて、一種の『社会事象』ⅰ になりつつある。そこで最近の議論を踏まえて深堀りし再論してみたい。そこからは単に英語というスキルの問題ではなくその底に潜む違った風景が見えてくる。

なにしろユニクロ銘柄で全国展開し銀座旗艦店を出したばかりのファーストリテイリング。かつて英国はじめ国際展開を開始しつつも失敗してしまい、もはや「純内需株」だと日経に名指しされていた(海外で安い材料を安い労働力で生産し輸入して国内販売するので険しい円高の影響が全くないという意味で内需優良株とされている)。しかし、柳井正社長は、「世界中に年間100店を出店し、世界で活躍できる店長を年間1000人送り出す」というハッパをかけて、社内全体海外志向が充満しているⅱ 。もちろん掛け声だけではない。5年前にユニクロが米国出店して以来、柳井社長自身も率先垂範で英語を熱心に勉強しておられるとのこと。アパレル業界では、海外ブランドを買収することはあっても自分で海外展開する経営者は少ない。その意味ではアパレル業界で英語公用語、海外志向は珍しいのかもしれない。

しかし、だからといって、ユニクロの社員が英語力ある人を条件に採用しているという話は聞かないし、いまだにユニクロ役員の全員が日本人である。噂では社内での英語公用語にするために社員にはTOEIC700点を目安としているらしく、それを聞かされて「めまいを覚える」という社員も少なくない。とはいえ、同じファストファッション業界の雄H&MやGAPに競り勝つには、もし海外でもこれらの企業に対する競争優位が保てないのなら、国内でもこれらの店に勝つのは無理ということになるから、英語公用語は社員に必死の努力義務を課す象徴というのだろう。柳井社長は、その達成目標時期を2012年3月末と、月日まで指定しているところが、ゴール設定に敏感な「外資系っぽさ」さえ漂わせている。

英語の研修にいくら使うのか

それにしても、きょうから社内で英語公用語にします、つまりGood morning, how are you? となるその日に、何が起こるだろうか。その時までには外国籍社員の数も多くなり、本当に英語でないと仕事ができない事態が想定される。

そこで、社員が自主的に英語を勉強しようにも費用の問題もあるし、まさか営業時間内に店をほったらかして英語学校に通うわけにもいかない。会社として英語公用語化に向けた施策が必要になる。そこで、ある語学学校が、ファーストリテイリングから語学研修を受注したというニュースが流れたⅲ 。海外展開に伴う人材研修を2年間の契約で(2012年3月末を意識していると思われる)ファーストリテイリングの経営幹部、店長、本部社員、海外赴任予定者ら約2000人を対象にするという。たとえば、経営幹部向けには、異なる文化圏で育ったメンバー同士の語学研修、そして店長や本部社員向けには、電話やインターネット会議の対策コースなどだという。研修は対面や電話、ネットを通じて実施し、店舗運営や日常業務に差し支えないよう並行学習できるようにIT活用新指導システムを開発したと言う。

この種の人材育成・語学研修システムとしては初めての大規模なもののようである。詳細は判明しないが想像するに、スカイプを利用して顔や表情を見ることができ、しかもある程度の人数で同時参加できる双方向形態のものと思われる。語学研修を受託した会社は、ファストリ以外にも「英語公用語」を意図する会社向けにセールスをかけて販売数量を確保し、当初の多額のシステム開発費を回収していくことになるのだろう。これに限らず、DVDなどの語学教材にも「社内英語公用語化対応」などと銘打って最近宣伝されているものがあるくらいだから、今は需要のあるところなんでもかんでも『英語公用語対策』ブームになっているようだ。

部門で予算をとって英語研修を数年(年中ということではなく、1年のうち数カ月から半年程度を費やす)実施してきたある会社の実例では、半年の間にTOEICスコアが平均で50ほど上がるとの報告もあるので、実際上研修の効果はあるのだろう。

研修のコスト分析

研修は、会社にとっては人材要件を満たさない要員に対する処遇義務であるから、必要経費といえる。金融危機以降、経費削減策がアジェンダに上らない日はないが、まず研修費から削ると言う会社が多い。しかし、バランストスコアカードでもわかるように、会社の成長基盤は、社員の学習・能力向上以外にない。中長期的な成長基盤であるはずの研修を、まず最初に削減するというのは、本来ならば本末転倒なのだが、なぜそうなるかというと、研修成果つまり研修のリターンが計算できない(正確に言うと、研修成果のもつ利益へのリターンを計算する努力をしない)からである。

楽天もユニクロも、どのように研修成果のリターンを期待しているのだろうか。TOEICの点数上昇をパラメータにするのではここでいうリターンにはならない。その結果つまりTOEICの点数上昇が利益向上に金額ベース(あるいは%)でどのくらいの貢献度があったかをDCF法で表示するくらいの努力があるべきだろう。「英語ができれば国際人、もう安泰。人はおのずとついてくる。ひいてはグローバルビジネスは成功する」という『思い込み』だけで動いているとは思えないから、もちろん、両社では、このような研修のリターン評価がされたのちの投資判断決定に違いない。

楽天は、楽酷天か

ネット通販大手の楽天も同様に、三木谷浩史社長が先陣を切って、「2012年中」に(ファストリ柳井社長のように3月末までとは期限を切っていないようであるから実施期限は2012年12月なのかもしれない。)社内の公用語を英語にすると公式発表している。ⅳ  社員の英語能力数値目標としては、TOEIC750点(上級管理職としての要求水準。中間管理職では700点以上だそうである。)を求めている。楽天も基本的には社員個人の学習を奨励しているが、さすがに社員に強制する以上は会社としても研修費用を負担すると見えて、こちらも語学学校に研修を依頼し、社内で英会話学校をスタートしたようである。

関心は高く、220名の募集枠はすぐ埋まってしまったらしい。これも、たまたまファーストリテイリングと同じ語学研修会社が先行受注しているところが興味深いⅴ 。

週一度の英会話レッスンと英会話教材視聴ということであっても、内心これを嫌がる社員は多いようで、私の知り合いのある方によれば、楽天社内のご友人に社内の様子を聞いたところ、相当混乱しているとのことⅵ 。日本人同士でこれをやるとまともな意思疎通ができなくなるようで、これを理由に退職する人もいるようだ。

楽天はつい最近中国にも「楽酷天」のブランドでネット通販市場を開設した。こちらの開発チームのリーダーは中国人で、チームも国籍もバライエティに富んでいる。ⅶ  この「楽酷天」というブランド名も、クーという発音に絡んで、中国語で「酷」がcoolという英語の発音に酷似しているので、そのcoolつまり「カッコいいぜ、ベイビー」的なノリで、楽酷天と命名したようである。ⅷ  今や会社全体が傾城の美人である英語になびいていることが背景になって、英語発音だけに由来して命名したものと思われるが、漢字がもともと表意文字だということからすると、酷にはcoolの意味はなくむしろネガティブな印象を持たせるのではないか、つまり英語発音に事寄せすぎたのではないかという疑問は残る。閑話休題。

日本の業界での社内での『英語公用語化』の動き

このように先陣を切った楽天やユニクロ以外の日本の会社はどうなのだろうか。

日産は、カルロス・ゴーン・ビシャラ社長が就任以来、経営会議は英語で行われており、社内メールや資料、書類は日本語英語併記となっている。そうでないと社長と意思疎通できないのだから必要に迫られての英語公用語化といえるだろう(ただし、「日英併記」ということに注意。)しかし、同じ自動車業界でもホンダは7月20日の記者会見で伊東孝紳社長が「日本国内で英語を使おうなんて、バカな話だ」と喝破した。これについて、同社広報部では「伊東社長の発言は『英語は必要ない』ということではなく、『臨機応変に使い分けるべきだ』という意味です」とコメントしている。「車買うなんてバカじゃないの」論ⅸ も一世を風靡したが、英語公用語化も『普通バカだと思われます』というわけで、「英語公用語バカ」論もかなり有力であるⅹ 。ちなみに最近の横浜信用金庫(横浜市、斎藤寿臣理事長)の調査では、中小企業対象にアンケート調査したところ、社内での英語公用語化に賛成した会社は「ゼロ」だったという。ⅹⅰ  

「英語公用語化バカ」論の背景

その背景には、大きく二つの理由があるようだ。まず、第一に、英語を勉強してスコアが伸びることは良いことであったとしても、「そもそも取引先が日本企業なのに、なんで英語の練習をしているのかな」と思うことがある、という楽天幹部社員の述懐にある。要は、必要性がないのではないか、ということである。では必要性がないのに英語公用語化を声高に叫ぶのはなぜか。楽天社長の三木谷氏はハーバードMBA出身であり、自分が英語を話せることを自慢するためのいやらしい「ハッタリ」ではないか、言いだした以上は絶対に英語社内公用語化をやってくれ、それで成功してみせくれ」(できないだろう)とまで言うのは、お茶の水女子大名誉教授の藤原正彦氏(数学者)である。

もう一つの理由は、社員の中には「英語が出来るものが実態以上に評価されているような気がする。それが会社にとってマイナスになっているのではないか」という人もいるということである。つまり英語力が正当に評価されるだけならそれはそれでよいことだが、英語が不得意な社員が実力より低い評価を受けることになれば、モチベーションの低下につながり、ひいては経営に悪影響を与えるとの懸念である。

このどちらの背景理由も、社員の心の奥底に眠る不公平感を刺激し、興奮してイライラした感情をもたらすものだ。ⅹⅱ  それだけに公式的な議論以上に、「英語公用語化バカ」論には根強い(根深い、というべきか)情動エネルギーがあり、むしろ喝采を送る向きも多い。
(つづく)

ⅰ読売新聞9月6日付記事「英語の「公用語化、是か非か」週間ディベート・大論争を参照。
ⅱユニクロ、世界で出店加速、独など、新規の9割海外に、新卒の半数、外国人採用。2010年05月12日 / 日本経済新聞 朝刊。国際展開に合わせ新卒採用も拡大。10年春の国内外での入社は約300人強で、うち外国人は100人超。柳井会長によると11年春に約600人、12年春に約1000人、13年春は約1500人に増やし毎年、半数以上は外国人とする計画だ。
ⅲ2010年10月28日付日本経済新聞朝刊によると、この会社は、「ベルリッツ・インターナショナル」(米ニュージャージー州、ベネッセホールディング傘下)。
ⅳ当コラム「英語ができない執行役員はクビ」論を参照のこと。
ⅴ日経ビジネス(6月21日号)楽天の英語公用化の記事によれば、ベルリッツが延べ20人の講師を手配。楽天人事部が会議室を提供。平日毎日午後4:45~9:10の間230人の社員がレッスンを受講。レッスン料金は割引された特別料金だが、楽天からの金銭的な援助はなしとのことである。
ⅵ もちろん楽天広報課では「社内の英語化はスムーズに進んでいます。情報の共有にも問題がなくなっています」といっている。(週刊現代経済の死角2010年8月4日)
ⅶ週刊東洋経済 2010年6月19日号「あなたは世界で戦えますか。グローバル人材になる法」特集 40ページ 『社内の公用語は英語、同僚は外国人・・・目指すは脱ガラパゴス 楽天はここまでやる!』による。
ⅷIT media news2010年06月09日 [ その名も「楽酷天」 楽天とBaiduの中国事業が始動]楽天と中国Baiduは6月9日、両社の合弁会社が中国で今年後半にスタートするインターネットショッピングモールの名称を「楽酷天」(読み:らくてん)に決めたと発表した。英語のCoolに由来し、「格好いい」という意味を持つ「酷」という文字を、「楽天」に組み合わせた。
ⅸ 「嫌消費」世代の研究――経済を揺るがす「欲しがらない」若者たち [単行本] 松田 久一 (著)
ⅹ 「 英語公用語化バカ」論は、マイクロソフト日本法人社長だった(現在インスパイア取締役)の成毛眞氏の主張でもある。氏曰く「会社の幹部ならともかく、一般社員にまで英語を使わせることに、何の意味があるのでしょうか。5年に一度のハワイ旅行のために、お金を払って英会話教室に通ったら、その人は、普通、バカだと思われますよね。海外赴任の可能性もない社員に英語を覚えさせるのは、それと同じくらい無駄で愚かなことです。」という。
ⅹⅰ日本経済新聞2010年10月19日付神奈川・首都圏経済面記事 『従業員に求めるスキルは、「語学力」より「対話・交渉力」』横浜信金、中小経営者アンケート結果(同信金の取引先774社対象に9月に実施した)より引用。

ⅹⅱ 最近の脳科学の進歩は速い。こうした公平処遇意識という複雑な情動的反応は、実は脳の脳幹にある扁桃体に由来することがわかってきた。この扁桃体が一度興奮して赤くなると、容易にはその興奮が止められない。谷口 恭氏( 1968年三重県生まれ。大阪市立大学医学部総合診療センター非常勤講師)によれば、 以下のような説明がされている。(以下、引用文)玉川大学脳科学研究所の春野雅彦研究員が、脳の中に不公平を嫌がるときに盛んに活動する部位があることを突き止めたのです。これは科学誌『Nature Neuroscience』のオンライン版2009年12月20日号で発表されています。(注)この研究では、まず男女64人に報酬金の分け方について好みを調べています。自分と相手がもらう金額の差が小さくなるのを好む25人と、そうでない14人を選抜しています。そしてこの39人に自分と相手の報酬金の差を36パターン示し、その際の脳の活動をfMRI(機能的磁気共鳴画像装置)で観察しています。その結果、自分と相手がもらう金額の差が小さくなるのを好む人は、金額の差が大きいほど扁桃体と呼ばれる情動に関連する脳の部分が活発に活動することが分かりました。また扁桃体の活動の様子に応じて、不公平をどの程度嫌がるかも予測できたそうです。扁桃体は、脳の大脳辺縁系と呼ばれる部分の一部にあたります。一般的には、「原始的な脳」と言われ、基本的な怒りや恐怖など、生物にとって原始的な情動に関連していると言われています。「原始的な脳」に対して、ヒトに発達している理性などをつかさどる「高次な脳」は大脳皮質に存在します。大脳皮質が高度な思考や理性を司っているというわけです。一見すると、「正義」「公正」「平等」などは、高次な理性によって処理されている、すなわち大脳皮質に関係していると思われがちです。ところが、この研究では、こういったものは扁桃体に関係している、要するに原始的な情動のひとつである可能性を指摘しているわけです。
注:上記論文のタイトルは「Activity in the amygdala elicited by unfair divisions predicts social value orientation」です。(http://www.nature.com/neuro/journal/v13/n2/full/nn.2468.html
 

笈川 義基プロフィール
東京大学法学部卒業。英国系総合商社、英国系損害保険会社、ドイツ系損害保険会社において、営業、業務、IT、再保険、商品開発、コンプライアンス・オフィサー、経営企画、M&A、人事担当役員などの基幹業務を現場長として経験した。4年間の取締役としての活動後、人事コンサルタント(戦略HRM)・リスクマネジメント(RM)を行うユニバーサル・ブレインズ株式会社を立ち上げる。