アメリカでは「2020 年までにIT技術者が 100 万人不足する」という数字がメディアで頻繁に引用されるが、これは 2012 年にマイクロソフトが米労働省の統計を基に算出したものである。「IT分野で 140 万の雇用があるのにコンピューター科学(CS)科の卒業生は 40 万人しかいない」という単純な計算によるもので、この数字に対する批判は多々あり、労働省の統計担当者自身が「統計が誤引用」されていると発言している。
まず、IT技術者となるのはCS専攻者とは限らず、またビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズのように大学を中退してIT業界で成功した技術者はいくらでもいるが、中退者は「卒業生」の中には含まれていない。現に、IT技術者の 60%がCS専攻ではなく、36%が大卒者ではない。「大卒者の方がソフトエンジニアとして優れているということは言えない」という調査結果もある。
特定の技術の所有者が不足している、変化のスピードが速いので最新の技術習得が間に合わないといった問題は確かにあるものの、「アメリカでは(少なくとも一般的な)IT技術者は不足していない」という声は根強い。上述のように、採用側がCS専攻の大卒者に固執しなければ(それを採用条件にしている場合が多い)、「人材供給は不足していない」という主張もある。
(最近では、アメリカを含め、世界的にサイバーセキュリティの技術者不足が叫ばれているが、それに関しては、また後日、報告したい。)
「IT人材が不足している」という主張は主にIT企業によるもので、経済学者には「不足していない」という意見が多い。その理由は、
・近年のCS学科卒業生の失業率は、文系分野と変わらない。
・本当に不足していれば賃金が上がるはずだが、他の業界に比べて高いものの、過去 15 年ほどで、さほど上昇していない。プログラマーに関しては下落している。(インフレ調整後額。)
・IT業界では、毎年のようにレイオフを行っており、2012 年から 41 万人以上、2016 年だけでも 10 万人近くがレイオフされている。
・理数系(STEM)大卒者 200 万人のうちの半数がSTEM業界で就労していないなど、有効活用されていない国内労働者が多数、存在する。また、IT技術者は、主に白人男性(と一部アジア系男性)で、国内の女性やマイノリティが活用されていない。
そのため、「IT業界のいう人材不足とは、現給与レベルでは働き手がいない、ということで、海外から安い労働力を得たいだけだ」という意見も少なくない。
IT技術者の視点
アウトソーシング問題
当のIT技術者の間でも「人材は不足していない」という声は高い。アメリカでは、近年、電力会社から州立大学まで大手雇用者が、アメリカ人IT技術者(その多くが中高年)のクビを切り、インド系のアウトソーシング企業を雇う事態が相次いでおり、社会問題になっている。
アウトソーシング企業は、インドから低賃金の派遣社員を派遣するのだが、その派遣社員に仕事を教えるのはクビを通告されたアメリカ人社員で、それが退職金給付の条件とされている(教えないと退職金がもらえない)。
インド系アウトソーシング企業は就労(H1-B)ビザを取得後、インドから社員を派遣して仕事を学ばせながら、徐々にインドに作業を移行する。結局、60~95%の作業がインドの本社にアウトソースされるという。(インドIT業界の売上の 60%がアメリカからのアウトソース。)
H1-B ビザというのは、元々、アメリカ人で埋められない職に限って外国人を雇うために発行されるものなだが、年収が6万ドル以上であれば「アメリカ人の職を奪っていない」という証拠を雇用主は米政府に提出しなくてもいいことになっている。(給料が丸々インド人社員に渡るわけではなく、そのうちの 30%ほどをアウトソーシング企業が抜くらしい。)
米労働省によると H1-B の 40%がエントリーレベルの就労者に発給されており、簡単なコーディングもできない人たちも珍しくないと言われている。
そういう外国人に職を奪われるアメリカ人は当然、憤慨しており、雇用差別でアウトソーシング企業や(州立大学を含め)元雇用主を訴えている人たちもいる。とくに公立機関の場合、地元民のクビを切り、地元民の税金で海外のアウトソーシングを雇うので、住民の反発は大きい。
また、インド人社員に所得税還付金搾取で集団訴訟を受けたり、ビザ乱用で米政府に提訴されたインド系アウトソーシング企業もある。
なお、米IEEEでも、アメリカ人の職を奪う短期就労者を呼び込む H1-B ビザを制限し、海外の有
能な技術者がアメリカで長期で働ける永住権の発給数増を求め、ロビー活動を行っている。
「IT技術者は、どのように就労国を選択するか」については、とくに新興国出身者の場合、最終的に移住が目的であり、「永住権や市民権を取得できる国」での就労希望者が多い。(日本政府が高度外国人の永住許可要件を緩和したのも、そのためなのだろうが。) 「韓国人は、英語習得のために子供が小さなときからアメリカに留学させて勉強熱心」というコメントをした知人がいるが、やはり目的は移住である。中国人がアメリカやオーストラリアで不動産を購入するのも、(資産の国外移転とともに)ビザや永住権の取得が目的のひとつである。そして、彼らの多くは、市民権を取得後、家族親戚を呼び寄せる。 そこで、優秀なIT技術者を呼び込むには「移住したい国」「(自分はダメでも子供が)移民でも成功できる国」になることが重要なのだが、日本の場合、その点と日本語の壁が立ちはだかる。 |
地域差
シリコンバレーや東海岸では、もう何年も前から住居費をはじめとする生活費が高騰しすぎ、年収1000万円どころでは生活していけない状態になっている。現地の事情に疎い人には仕事のオファーをもらって住居を探し始めてから、家賃・住宅価格に驚き、雇用を辞退する人も珍しくない。(シリコンバレーで年収 2000 万円でもアパート住まいの人を知っているし、NYCでは「年収 2000 万円でやっとまともな暮らしができる」という人も。なお、カリフォルニアや東海岸は州の所得税も高いので、この所得クラスでは給料の半分以上を税金諸々に持って行かれる。東海岸は、さらに固定資産税が高く、自宅に対し年間何百万円。)
そこで人気なのは、生活費の安い中部や南部である。とくにテキサスは、過去 10 年以上、企業優遇政策と豊富なホワイトカラー人材で大企業の誘致に成功し、経済発展が目覚ましい。(トヨタも、昨年、北米本社をロサンジェルスからダラスに移転し、日本人を含む社員 3000 人ほどが転入。)アメリカ各地から企業が移転し、流入人口が増え、テキサスの大都市では、近年、住宅価格が上昇しているものの、まだ東西海岸の半値ほどである。住居が安いので、年収 1000 万円あれば、ゆとりある生活ができる。
この表は、ある雑誌の「2017 年IT業界で働くのに最適の都市」ランキングだが、25 都市のうち6都市がテキサスの都市、3都市がダラスとその郊外の都市である。(トヨタの北米本社は 12 位のPlano。なお、Indeed の本社は「シリコンヒルズ」の異名をもつオースティン。)
他誌のランキングでも、必ずテキサスの都市が上位に入っている。(テキサスはインド系、ベトナム系が多く、テキサス大学ダラス校の周りも「ここはインド?」と思うくらい。医者の半数くらいは外国生まれだが、その多くがインド系やベトナム系、近年、中国系や中近東系も増えている。)
連邦政府の取り組み
就労ビザ改革
H-1B ビザは年間発給枠が決まっており、発給数上限は年8万 5000 だが(そのうち2万は米大学院卒者向け。大学や非営利・政府機関に雇用される場合は枠外)、過去5年、受付開始後5日でこの2~4倍の応募があるという激戦である。そして受付開始後5日以内に発給枠以上の応募があると、まずは抽選となり、優れた経歴があっても運に任せるしかないという仕組みである。(それで、Oビザ申請の資格がある人たちはOビザに流れる。米就労ビザについては、こちらを参照のこと。)
2012 年くらいから H1-B ビザの申請が急増したが、その背景にはITアウトソーシング企業による申請増がある。近年、H-1B ビザの3~5割を 10 社ほどのITアウトソーシング企業が取得している。アウトソーシング企業は、抽選に当たる確率を上げるため、毎年、社員一人に対し複数応募する。一番多い企業では、一社(Tata)で 7000 以上も同ビザを取得している。なお、同ビザ取得数上位 10 社のうち6社がインド本社の会社であり、H1-B ビザの7割近くをインド出身者が取得している。
こうしたビザ制度の乱用はもう何年もの間、問題視されており、米議会でも改革を求める動きがあったが、IT業界の反発(ロビー活動)に押され、これまで実現しなかった。トランプ大統領は H-1Bビザ制度の改革を大統領選の公約に入れおり、大統領令にも署名しているが、今のところ、関係4省に見直しを求めるだけのものである。
一方、それ以前から米議会には議員らによって改革法案が提出されており、今年前半に提出された4案の概要は下記の通りである。
・4案のうち2案が、H-1B 社員の割合が 15%以上の企業に対し、新規 H-1B ビザ申請が可能な最低年収を 10 万ドルまたは 13 万ドルに。(13 万ドルというのは、シリコンバレー地区の議員案。IEEE は、この議員の法案を支持。)
・H-1B ビザまたはL 1 ビザ社員が 50%に達している企業は H-1B ビザ申請不可。社員 50 人未満の企業は適用外。
・抽選制廃止。米大卒者、院卒者、高収入者、高技能者などを優先。
・ビザの2割を社員 50 人未満のスタートアップ企業向けに割当。
・駐在員(L)ビザにも最低年収設定。
先月、超党派議員からトランプ大統領に向け、H-1B ビザの改革を促す書簡が送られている。
移民政策改革
H-1B ビザの年間発給数は 2004 年から変わっておらず、マイクロソフトやアップルなどの大手IT企業は、もう何年も前から受給数を増やすように政府に働きかけている。
H-1B は一度更新でき、最高6年までアメリカでの就労が可能となる。その間に、スポンサーする雇用主が見つかれば、永住権の申請も可能である。永住権取得には2年ほどかかるが、インド、中国、フィリピン、メキシコ出身者の場合、数年かかる。そこで、IT業界では、H-1B ビザから永住権への移行を簡素化するように求めている。
今年、米上院には移民制度を改革する法案も提出されているが、これは永住権取得を、これまでの市民権や永住権所有者の家族ベース(永住権取得者の 60%以上)からスキルベースに修正しようというものだ。(法案が通る確率は低い。)
家族ベースで英語もできない低スキル移民ではなく、高スキルの移民を受け入れるためのものだが、IT業界では、H-1B ビザ保有者の永住権取得問題が解決するわけではなく、かつ誰がアメリカで働けるかを政府が決める点に抵抗を示している。
州政府の取り組み例
コミュニティカレッジのバークレー市立大学では、カリフォルニア州で初めて、州の助成金を用いたITブートキャンプを開始した。ウエブデザイナーや UI/UX デザイナー、ウエブ開発者などの養成コースで、16 週間のコースが 148 ドルからと民間のスクールに比べ格安である。教室でもオンラインでも受講可能である。プログラムの理事には、Google や Adobe などの上級社員が名を連ねている。
他州でも、さまざまな取り組みが行われている。
民間企業の取り組み例
Facebook
(IT業界は白人男性と一部のアジア系から成り、多様性に欠けるとの批判が高まっていることから)Facebook では、2015 年に黒人やヒスパニック系などマイノリティが子供のころから、CSやプログラミングに親しめ、ITでのキャリアを目指してもらえるように取り組みを開始した。
年齢や関心事に応じ、プログラミングのコース、ゲーム、書籍、イベント、おもちゃ、インターンシップ、奨学金などを紹介する。学習者本人だけでなく、その親にもプログラミングやIT業界、キャリア展望について理解してもらい、いかに子供とプログラミングについて話し、関心を持たせるかなどを指導している。支援は、英語以外にスペイン語でも提供している。
また、Facebook は、ミシガン州で、地元のプログラミング研修会社と提携し、プログラミングやソーシャルメディア・マーケティングなど、グローバルなデジタル経済で活躍できるスキル養成のために、今後2年で 3000 人の研修費用を負担する。卒業生には、アクセンチュアなどミシガン州のIT企業での第一次面接を保証する。
この研修会社が選ばれたのは、修了生の4割が女性、4割がマイノリティで、同社独自でも女性やマイノリティに奨学金を提供しており、多様性向上策の一環と思われる。
Indeed
優秀なソフト開発者は、転職オファーが次々に来て、いちいち見向きもしない状態で、とくに機械学習分野で、その傾向が著しい。Indeed では、ソフト開発職求人広告の3割以上が二か月以上、埋まらない状態だという。また、雇用側は、莫大な時間をかけて応募者を絞ってオファーを出した挙句、オファーを断られる場合もあり、既存の雇用プロセスは非効率的でもある。
そうした状況に風穴を開けるため、Indeed では、2016 年に Indeed Prime を開始した。転職希望者に求人情報を押し付けるのではなく、反対に転職希望者が、希望勤務先や希望給与、次の職に求めるものなどをオンラインに掲示し、興味のある採用企業が連絡できる仕組みだ。誰が自分のプロフィールを閲覧できるかの制限は、転職希望者が設定できる。
Indeed によると、転職希望者に連絡した採用企業に対する返答率は 90%らしいがが、実際に Indeed Prime を利用した転職希望者のレビューは良悪混在である。
なお、Indeed Prime はIT技術者に特化しているが、同様のサービスを提供している Hired では、IT職が中心であるものの、それ以外の職種も含まれている。
また、Indeed では、隠れた人材を発掘するために、オンラインでプログラミングコンペを行い(アメリカでの就労許可保有者限定)、優秀な人材は雇用主に紹介される。
ソフト開発者の半数近くは大学でCSを専攻していないという現実の中、正式な資格に欠けるもののプログラミンの才能がある人材を発掘するのが目的である。コンペの優勝者も、CS専攻者や有名技術系大卒者とは限らないという。
CompTIA
IT検定で知られるIT業界団体、CompTIA では、学歴などにかかわらず、業界に就労者を呼び込むために、今月、会員支援サービスを開始した。今年、合併吸収したIT技術者協会、AITP(Association of IT Professionals)を通じ、スキル養成やキャリア開発のために、オンラインでの就職検察ツール(特定のスキルに対する市場需要に関する詳細なデータを示し、それを個々のキャリア目標に関連付け)やオンラインコース(Lynda.com と提携)、交流やメンタリングの機会などを提供する。
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