今回は、日本よりも出生率が低く、早くから労働力不足解消のために、経済発展に絡めた移民政策を打ち出し、有能な人材を海外から惹きつけてきたシンガポールを取り上げる。
戦略的な移民政策
シンガポールは、イギリス領の頃から、中国やインド、マレー半島からの移民によって成り立ってきた。奄美大島ほどの大きさの都市国家は、天然資源もなく、当時から経済は貿易と人財に依存してきた。マレーシアから分離された1965年の建国以降は、移民は制限され、シンガポール生まれの国民が増えた。しかし、1980年代、工業化が進む中、出生率が落ち込んだこともあり、(※1)深刻化する労働力不足を解消するために、シンガポールは戦略的な移民政策へと舵を切ることとなった。
この頃から、再び外国生まれの住民が増え始めたのだが、その数は、この30年で3倍に膨らみ、ここ10年近く全人口(570万人)の37%を占めている。(※2)この割合は、世界平均の3.5%はもとより、移民受け入れ数で最大のアメリカの14%よりも、はるかに高い。
なお、シンガポールの移民のうち、44%が隣国マレーシアからであり、次に中国(18%)、インドネシア(6%)が続く。
外国人労働者
シンガポールの移民政策では、ホワイトカラー人材は「外国人技能者(Foreign Talent)」、製造業や建設業、家庭内労働などに従事する単純労働者を「外国人労働者(Foreign Worker)」として、両者を明確に区別している。
高度人材には様々なインセンティブを与えて優遇する一方、単純労働者は労働力需給の調整弁として厳格に管理するという態勢を確立している。
※1:2018年の出生率は1.1で、日本(1.4)やヨーロッパより低く、人口の高齢化が進んでいる。
※2:UN World Migration Report 2020. 留学生も含まれる。
高度人材(Foreign Talent)
シンガポール政府は、1997年に労働省の国際人材部門が世界6カ所に事務所を設け、海外からの人材リクルートを開始した。その後、「シンガポール人材採用プログラム」や外国人人材向け住居プログラムなど様々なプログラムを展開し、優秀な人材確保に努めた。また、アジアの金融センターとして経済成長を維持しながら、各国からの企業を誘致することで、優秀な人材も惹きつけるという戦略を取ってきた。グローバル企業がシンガポールに本社や財務部門を設けると税金を優遇するといったインセンティブも提供している。また、高度人材を雇用する企業は、外国人雇用税は徴収されず、雇用人数も制限されない。
一方、雇われる高度人材側も、一定の条件を満たせば、家族も帯同でき、永住権申請も可能である。シンガポール政府は、優秀な人材には永住権、最終的には市民権(国籍)を得て、定住化することを希望している。
シンガポールでは、過去10年ほど、毎年、市民権を得る外国人が2万人強、(※3)永住権を得るのが3万人ほどいる。(※4)新たに永住権を取得した外国人の63%が東南アジア諸国からで、31%が他のアジア諸国(中国やインド)で、アジア以外からは6%のみであった。なお、シンガポール政府は、華人(76%)、マレー系(15%)、インド系(7%)の民族比率を変えるつもりはないことを表明しているため、その他の外国人が増えることはない。
※3.シンガポール在住2年以上の永住権所有者は市民権の申請が可能だが、実際には、もっと長い在住期間が求められるらしい。
※4.シンガポールでは男子に徴兵義務があるため、就労ビザを取得している外国人の多くが、永住権や市民権を取得するのをためらう。永住権取得者は子供に徴兵義務が生じる。
単純労働者(Foreign Workers)
単純労働者は、主にシンガポール人がやりたがらない単純作業を担う位置づけである。他の東南アジア(フィリピンやインドネシア、ミャンマー)や南アジア(バングラデッシュやインド)から、各国政府との二カ国間協定の下で、労働者の受け入れが行われている。
1980年初頭には、その後10年で単純労働者の雇用を中止する計画だったが、人材不足に悩む企業が反発した。そのため、外国人労働者を制限管理する政策を打ち出し、雇用する外国人労働者に対し雇用企業から税金徴収し、従業員に占める外国人労働者の割合の上限を定めるに至った。
かつ、雇用企業は(マレーシア人以外の)従業員一人に対し、最低5000Sドル(約37万円)の保証金(security bond)を支払わなければならない。また、家内労働者は、労災の受給資格がないため、雇用主は医療保険や損害賠償保険への加入が義務付けられている。
なお、雇用企業は、外国人労働者一人一人の住所と携帯番号を政府に登録することが義務付けられており、変更した場合は5日以内に届けなければならない。
外国人労働者は、雇用契約が終了すれば、ただちに就労許可は無効となり、7日以内に出国しなければならない。HIV検査などを含む定期健診も義務付けられている。シンガポール市民や永住者と結婚するには許可が必要であり、女性労働者は妊娠が発覚すれば、ただちに出国を命じられる。
こうした外国人労働者の多くが寮に住んでおり、一部屋に二段ベッドを並べて10数人を詰め込むタコ部屋状態である。今回、シンガポールはコロナウイルスの感染拡大をうまく抑え込めたかのように思われていたが、4月に入り、こうした居住環境の外国人労働者の間で感染が拡大し、確認感染者数全体(1万5000人以上)の80%以上を占めるに至っている。
就労ビザの種類
シンガポールには、主に下記のような就労ビザがある。
なお、EP、Sパスともに、給料によって(6000ドル以上)、配偶者ビザの申請が可能かどうかが決まる。
日本人を含む先進国出身者が取得するのは、主にEPやSパスだが、下記で述べるように、反移民の声が大きくなる中、EPパス取得が年々難しくなっている。
Sパスや就労許可取得者を雇用する企業は、外国人雇用税を支払う義務があり、Sパスの場合、一人当たり月330~650ドル(2.5~5万円)である。
移民政策の転換
1990年から2010年の20年で、シンガポールの人口は60%増える中、非居住者は4倍以上に増加した。2010年頃から、移民による対シンガポール人批判などもあり、移民に反対する声が大きくなっていった。移民増加によって賃金が抑制され、物価・不動産価格が高騰し、移民は自分たちの職やリソースを奪い、文化的アイデンティティを侵す存在であるという見方が広がったのだ。
とくに国内で外国人がホワイトカラーの高給職を地元民から奪っているという声が高くなり、選挙にも影響を与え始めたため、政府は外国人労働者の流入を抑制せざるを得なくなった。
こうした世論の高まりで、2014年には、Fair Consideration Framework(公平な雇用機会のためのフレームワーク)が設けられ、企業はEPを取得可能な外国人の採用を検討する前に、シンガポール人に雇用の機会を与えることが義務付けられた。従業員が25人を超える企業は、月給1万2000ドル(90万円)未満のホワイトカラーの職に対し、EP取得の申請をする前に、最低2週間、政府のキャリアポータルに求人広告を出すことが義務付けられた。これは、2018年には従業員10人超の企業、月給1万5000ドル(112万円)未満のホワイトカラー職に改正されている。
この法の下、外国人を優遇していると思われる企業は、ウォッチリストに掲載され、EP申請の際には厳しく審査される。実際、2016年から600社による2300件の申請が却下されている。
今年、法改正が行われ、来年からは、地元民を差別していると判断された企業は、従業員のパス更新も却下されるという厳しい処置が取られる。
今年の法改正で、先頁の表に示したように、今後3年で、建設、海運、製造業などでSパスの外国人の雇用人数枠が段階的に減らされることになった。ただし、就労許可の単純労働者枠は減らされない。
こうした規制は、中小企業にとっては重荷であり、「シンガポール人を雇っても、すぐに転職してしまう。外国人であれば、就労許可のため、少なくとも2年は働いてくれる」という声もある。
なお、移民政策転換後、永住権の審査も厳しくなっている。
まとめ
先述のように、シンガポールの移民の多くは、隣国マレーシアと他のアジア諸国からである。日本が呼び込みたい高度人材は、欧米人や英米を目指すアジア人ではなく、シンガポールを目指すような人材だ。
しかし、ビジネス言語が英語であるシンガポールに比べ、日本では英語が通じない点が大きなネックである。それは、『海外就活・転職を見てみる -【インド人の就活・転職観】』でも見たように、子供の教育にとってもデメリットだと感じる外国人がいる。
また、シンガポールは、元々、華人、マレー系、インド系から成る国で、多文化・多宗教であるため、そうした外国人にも溶け込みやすいという点がある。たとえば、ヒンズー教寺院やモスク、ベジタリアン食やハラール食が町にいくらでもあり、ヒンズー教徒やイスラム教徒にとっても生活に支障がない。
8回にわたる『海外就活・転職を見てみる』シリーズで見てきたように、日本で働こうという高度人材の多くも、主に、こうしたアジアの国々からやって来る。
外国人高度人材を採用したいという日本企業は、多文化を受け入れるだけでなく、シンガポールとは違ったメリットをアピールすることも必要だろう。
シンガポール人の就職観
2019年にASEAN諸国の若者(15~35歳)5万人以上を対象に行われたアンケート調査では、66%のシンガポール人回答者が「自国で働きたい」と答え、海外で働きたいというシンガポール人は34%で、ASEANで最低の割合であった。※5(ちなみに、「海外で働きたい」という回答者の割合が一番多かったのは、53%のフィリピン。)
また、「起業家になりたい、自営したい」という回答者の割合が一番少ないのもシンガポールで17%のみだった。(一番多いのは、36%のインドネシア。) こうしたことから、シンガポールの若者のリスク回避傾向がうかがえる。
※5. World Economic Forum “ASEAN Youth Technology, Skills and the Future of Work” August 2019
人気の就職先
この4月に発表された8000人以上の社員を対象に行われたアンケート「もっとも魅力的な企業150社」では、 上位10社のうち8社が外資系企業だった。そのうち4社がアメリカ企業だが、一位はユニクロである。
※6.従業員200人以上の1300社から選択し、「自分の勤務先を家族や友人に勧めるか?」という質問。
上述のASEANでのアンケート調査では、回答者の18%が中小企業で働いているものの、「将来、中小企業で働きたい」という若者は7.5%のみであった。同時に、主な転職の理由として、第一に「学んで成長できるチャンス」(19%)で、次いで「よりよい給料」(19%)が挙げられた。
無名の中小企業が、東南アジアから優秀な人材を惹きつけるのは難しいことがうかがえるが、少なくとも学んで成長できる職場環境を提供する必要があるだろう。
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